私たちが利用したのは、3泊4日のツアーで、2日目にはガイドさんの付く「名所めぐり」がありました。
以前、香港に行ったときも、同様のツアーを利用したのですが、それがあまり楽しくなかった。
40人ぐらいの大団体。名所に行っても、背の低い私は人垣の中で何も見えない。
ガイドさんは、ガイドするよりも車内販売やおみやげ屋さんの案内に熱心で・・・
なんだか、一日を棒に振ってしまったような気持ちになりました。
それで、「ガイドの付くツアー」は敬遠していた。
しかし夫は
「初めての上海だし、中国語はろくに出来ないんだし、1日くらいツアーが付いている方がいいんじゃないか?
香港と違って、いざとなれば英語が使えるって町じゃないんだぞ」
と力説。ガイド付きツアーに決定。
いざ、上海に着いてみたら、ガイド付きツアーで本当に良かったです。
上海は地下鉄が便利ですが、地下鉄では行きにくい地域もあります。
ガイド付きツアーでは、そういうところをカバーしており、効率よく名所を見て回ることが出来ました。
今回たまたまだったかもしれないけれど、ツアーは私たち2人だけでした。
上海浦東空港に着くと、そこには「三菱デリカ」とガイドさん、運転手さん。
ガイドさんも運転手さんも20代半ばの女性でした。
(中国では女性がバリバリ働くって、本当なんだなあ・・・・)
上海は交通渋滞が激しく、車線変更ではいちいちウインカーは出さない。クラクションはバンバン鳴らす。
運転手さんはそれでもすいすい走り、急ブレーキなどはなかった。かなり上手い人だと思う。
ガイドさんは親切で、2人だけのツアーなので、すぐに質問できるし、
若い女性なので、映画や芸能関係の質問もできる。
おみやげ売りに異常に熱心ということもなく、ツアーだからやはりお店は決められていて立ち寄ったけれど、
「これから会社の決めた喫茶店に行きます。お茶を売っているけど、買わなくても良いのですよ」
・・・と、大変良心的でした・・・
お寺の境内にはいると、お線香をあげている人がたくさん。
しかし、日本のお線香と比べて、とても長い。しかも束のまま火を付けている。
日本のお線香は普通、深緑色をしているが、こちらのお線香は黄色かったり赤いものまであった。
屋根瓦に極彩色の神様たちが付いていたり、壁が黄色かったり。
まつられている仏たちは、日本のお寺と同じだったりもするが、お寺の様子はだいぶ違う。
「孫悟空」で有名な三蔵法師が天竺(インド)にもらいに行ったという、お経も展示されていた。
・・・「南無妙法蓮華経(般若心経)」でした。
このお寺の宝は、ミャンマーから持ち帰ったという、「玉」で出来ている仏2体。
「玉」は白く半透明の石で、上海ではアクセサリーなどの素材としても時々見かけました。
仏は涅槃で寝そべっている姿で、仏陀の最後の姿として有名ですが、
玉仏寺におられる仏の顔は、とても穏やかな顔でした。
博物館には1時間しかいられないことがわかっていたので、あらかじめ見たいものをチェックしておきました。
中国美術、書道、絵、たくさんあるけど、何より私が見たかったのは「少数民族の衣装」でした。
どの服もとても凝った刺繍がされていたり、金属のアクセサリーがたくさん付いていたり・・・
もちろん、特別なときのための服ですが。
中国では、為政者が替わるたびに、その民族の影響を受けた服が出来ていったとのこと。
チャイナ服は日本でも人気があるけれど、その衿や打ち合わせの形も様々でした。
私が通っていた文化女子大学の服飾博物館では、ロシア少数民族の衣装をコレクションしていたらしく、
たびたび展示会がありました。中国もロシアも近い地域にあるせいか、衣装の装飾に共通点があるようでした。
藍染め。日本の感覚と違い、中国では「左右対称」なデザインが基本のようです。
ボートと障子の「さん」。日本同様、中国にも障子はあるそうですが、「さん」のデザインがとにかく凝っている。日本のはただの格子だけど、中国のはかなり細かい。
上海博物館はとても大きく、ちゃんと見れば4〜5時間はかかるのではないでしょうか。
上海は昔、アヘン戦争を経てヨーロッパ各国の租界があったので、その当時(80年ほど前)の建物が残っている。
黄浦江の手前を「外灘(中国語でワイタン・英語でバンド)」と呼ぶ。
「バンド」というのは、英語で「土手」の意味。租界時代にイギリス人が付けた名前だという。
租界時代、外灘地区は経済・金融の中心になっていた。
今の外灘は、当時の建物を再利用し、やはりその建物のほとんどが銀行として使われている。
黄浦江の手前は租界時代のクラシックな建物。
しかし、黄浦江の向こう岸をみると、
新しいビルがニョキニョキと建っている。
写真では見えないけれど、地球儀の形の建物があったり(APEC会議場)、ホテルが増えたり、
新開発地区になっている。
日本人観光客だけではなく、中国の地方都市からの観光客、欧米からの観光客で、外灘はいっぱい。
年末のせいかカップルだらけ。みんなベタベタしている・・・(私たちはベタベタしないよ!)
町を歩く地元の人を見ていて、気が付いたけれど、
こちらの女の子たちは、道を歩いていても電車の中でも、手をつないだり肩を組んだり、まるでカップルのようにベタベタしている人が多い。
中学・高校生世代なら、日本の女の子たちもそういう時期は多少あるけど(でもここまでベタベタはしていないと思う)
どう見てもOLの女性や、私よりも年上の女性たちもそんな感じの人が多かった。
日本人がクールなのか、中国人が親密なのか。
南京路。
南京路の東半分は歩行者天国になっていて、かなり安心して歩けます。
地下鉄2駅分くらいの、長く続く繁華街。なんでもあります。
夜もネオンで明るく、観光客のために小さなバス(南京路を往復する)も走っています。
確かに、南京東路の端から端まで歩くと、足腰がかなり疲れる・・・
豫園は、上海が租界になる前から町の中心に当たる存在で、400年前の建物や庭園がそのまま残っている。
かなり広い敷地だが、個人の財産で作り上げたという。
こういう、壁をくりぬいた通り道が面白い。他に円や多角形などもありました。
趣ある庭園。左写真の左上に見える東屋を、拡大したのが右写真。
この東屋は、豫園が出来た当時は、上海で一番高い位置にあり、上海中を見渡せたそうです。
太平天国の乱、武装蜂起の拠点。
豫園にたくさん見られた、穴の開いた奇石。
正体は石灰岩。長い年月で浸食したものを豫園まで運んできたそうです。
この石の一番上から水をかけると、全部の穴から水が出てくる・・・
建物の屋根には、物語の登場人物が鬼瓦のように乗せられていました。
龍の付いている屋根も多かったのだけれど、爪の数が少ないので、本物の龍ではないそうです。
(本物の龍は皇族でないと屋根に付けられないから・・・と)
獅子もたくさんいました。日本の狛犬によく似ていますが、雄はボールを足先で転がし、
雌は子獅子を足先で遊ばせている。必ず雄雌セットで並んでいました。
よく見ると、子獅子のポーズは様々で、顔は怖いけれどなかなかカワイイ。
豫園商場。
おみやげ屋さんが並んでいます。なんと「スターバックス」がここにもあった(色合いを地味にして、馴染んでいた)
楽器屋さんがあって、二胡やチャルメラを売っていました。チャルメラは一本90元(1400円くらい)から。
一瞬買おうかと思ったけど、やめた。
ギターがたくさん並んでいる・・・と思って見ていたら、中に一本、さりげなくチェロが混ざっていてビックリ。
「行列の出来る小龍包のお店」がありました。
小さな肉まんのような形をしていて、中には熱いスープが入っている点心。
ここらでは有名なお店らしく、日本のラーメン屋さんの比ではないくらいの行列でした。
小龍包は別なお店で食べた。おいしいけど、気を付けて食べないと、スープが飛んだり舌をやけどする。
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