「働くかあさん」になるココロ

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1歳3ヶ月(復帰5ヶ月前)

私の父は保育園に関して、古いイメージしかない。
いわく、小さな子どもが泣いて母親にすがるのに、檻に閉じこめて出ていくという・・・
「カナエちゃんがかわいそうだ。残酷だ。 お前、仕事やめろ」という。
いやいやいや、今の保育園はかなりいいですよ。
見学に、父も連れて行けば良かった。

確かに、ゼロ歳や1歳なりたてぐらいだと病気をもらいやすくて大変だろうけど、
2歳過ぎたら、大勢の友達と遊ぶのはすごくいいと思う。
おもちゃも絵本も遊具もどっさりあるし、家ではあり得ないダイナミックな遊びが出来る。

それに私はこれから、3人も4人も産むことはあり得ない。
どこの家も、兄弟数は少ないのだから、保育園でいろんな年の子と遊べてよいでしょう。
幼稚園に比べて教育色が薄いのかも知れないけれど、
このぐらいの年齢の子は、生活の全てが学びになるのだから、問題なし。
私たち夫婦だって、特に英才教育なんか受けなかったけど、ちゃんと大学までいったじゃん。

そしてなによりこの私が、2年近く家にいて、
「家でずっと専業主婦として暮らすこと」への適性のなさを思い知った。
家にずっといるからと言って、家が劇的にピカピカになったり料理が豪華になるわけではないのですよ・・・
このホームページでも、変わった料理を作ったとか、服を縫ったとかいろいろ書いてるけど、
この程度のことは、独身時代からやっていた。
なぜなら家事というものは、主婦だからやるのではなくて、生活を仕切る立場だからやるのであって、
一人暮らしなら男女問わずやるものだからです。

10年働いてからの出産だったからなあ。
きっと、スケジュール的に、体力的に大変でも、
「家」と「仕事場」と、2つの居場所がある生活の方が、私にとっては精神的に良いのだと思う。
そういう方面では、私は頑張れる。

1歳6ヶ月(復帰2ヶ月前) 

公民館保育室で離れるときも、寝かし付けを途中で夫と交替するときも、
泣くのは「儀式」らしい。
泣いて見せて、引き留められたらめっけものというか。

私が部屋を出ようとしたら号泣し、そのあとしばらく泣き声が聞こえたが、
お風呂から上がったら、とうにカナエは熟睡。
夫によると、あのあと5分ほどで眠ったそうだ。
ふて寝作戦、成功。

先日も、お風呂上がりにいつまでもリビングで遊んでいるので(手足ホカホカなのに)
夫に相手を頼み、私は洗面所で髪を乾かしていた。
リビングに戻ったら、誰もいない。
寝室でカナエは熟睡。10分も経っていないのに?
これも、夫に聞いたら、
「あのあとすぐ、自分でハイハイして寝室に行き、ベッドによじ登り、パタンとうつぶせになって勝手に眠った」
とのこと。
私がいなければいないで、ちゃんと眠れるのね・・・・

公民館の保育室に行くときも、保育室の前で入室を待っているときは、
他のお友達に手を伸ばして声を上げたり、
窓から保育士さんたちを覗いて手を振ったりと、かなりやる気満々。
しかし、いざ入室となると、急に泣き出して、入り口からハイハイで脱走しようとしたこともある。

でも、それをムリヤリ置いてきて、窓から様子を覗くと、
カナエはもう普通の顔をして、テーブルに置かれたシールを選んでいる。
入室してから1分も経っていない。
(入室したら、好きなシールを出席カードに貼ることになっている)
保育士さんにあとで聞くと、「カナちゃんは最初だけ少し泣いて、あとはすごく楽しんでますよ」だって。

よく、保育園に子どもを通わせ始めたばかりのお母さんの、
「保育園の入り口でいつも泣かれて、ママ行かないでなんて言われると、辛くて・・・」
という悩みを聞くが、
子どもは、入ってしまえば案外楽しんでいる・・・のだろうと思う。
大丈夫よ。

1歳7ヶ月 (復帰1ヶ月前)

公民館講座の講師の一人が、こんなことを話していた。
「子育て期間は人生の中で、実はイレギュラーな期間。
12〜3歳ぐらいで子どもは親から離れる。
(子どもはいったん死んだと思いなさい、18くらいで戻ってきたときはもう別の人間になっている・・・と講師は話した)
そのあとも自分の人生は長い。なのに、子育てに依存してしまう母親が多い」

これは目から鱗が落ちた。
子育てに必死になり、母親が自分の人生を全て捧げるようにすることを、咎める人はいないだろう。
だけど人生全体で見れば、子どもが小さくて手がかかるのは、実はほんのわずかな期間だ。
ここを見誤ると、悪い意味で子離れが出来ず、
自分自身の人生を生きられない人になってしまうかもしれない。

これで私は、職場復帰することに迷いがなくなった。
(実は退職を検討したことは、ある)
復帰して当面は、20代の頃のようにバリバリ残業したり、何でも引き受けたりということはできないだろう。
時間的には「まるで使えない教師」になるかもしれない。
辞めないために続ける(わかりにくい表現だが、いったん辞めると女性の再就職は非常に難しい)だけの時期になってしまうかもしれない。
それでも、カナエの手が離れてから、たぶん20年近く働ける。
そのとき、親としての経験を持っていることが、私の財産や武器になるだろう。

仕事じゃなくて、地域活動なども良いと思う。
家庭・家族の他に、自分のやること、行くところ、仲間がいることは、
人生の中で必ずプラスになるはずだ。
私の場合は仕事を続けられるようにしておいたので、まずはそれが一番だと思う。

子どもとの関わり方や時間の使い方は工夫が必要だけど、
これが子どもにとってマイナスになるとも思えない。
本当は家族の人生をどうしていくか、きちんと家族で(特に夫婦で)話し合っていくことが、
子育てをしていく・家庭を作っていく上ではとても重要で、
しかし日々の暮らしに追われてじっくり考えられてこなかったのだと思う。
昨今の子育てを取り巻く状況や情報は、経験していないと想像も付かないぐらい、
母親にプレッシャーを与える。
こりゃ、少子化が進むのは当たり前だと思う。

「自分がしっかりしなくては」「自分が子どもに責任を持たなくては」と、
もちろんそれは親として当然の気持ちだが、
必要以上に「自分が・自分が・自分だけが」と追いつめてしまいがちだ。
そうなってしまうような情報が多すぎるのもあるし、
ちょっとしたことを、会って話せる「同僚」のような存在が、子育て中の母親には少ないこと、
悪いけど父親が、技術・意識の面で全面的にお任せできるほどではない・・・
といったことが、そうした「自分でプレッシャーをかけ続ける」状態に拍車をかける。

この講座は、「子どもとおもちゃ・絵本・テレビについて」というタイトルが付いていて、
「慣らし保育がわりに参加」という目的の他には、
まあ子どものためのおもちゃや絵本のおすすめがわかればいいか、授業ネタが見つかればラッキー・・・
ぐらいの気持ちだった。

講座を終えてみて、子どもの成長する強さ、たくましさを強く感じたし、
何もかも自分が背負わなくて大丈夫だということ、
ネット上でどんなに母親向けフォーラムを読んだり書き込みしても、
地域に友人が出来ることほど心強い物はないこと・・・を知った。
夫にも、「添い寝を替わってもらう」という新しい方法で、育児に協力してもらうようになった。
予想以上に、いろんな方向で効果のある講座だった。

子どもの年齢が上がるほど、実は「母親仲間」は必要になると思う。
高校生になれば地域からも離れてしまうし、親にも細かいことは話さなくなるし。
仕事をしているとPTAからは逃げたくなるけれど、
時間が許す範囲で、親同士の関わりを持てる機会は大事にしたいと思った。
教師としては、保護者会では一方的に学校の様子を伝えるだけではなく、
親同士が親しくなれる場を提供出来たら、理想的。

この保育室は、保育スタッフと保護者のコミュニケーションが素晴らしくよく取れていて、
保育室の様子は細かく知らされるし、保育の仕方についても疑問が全くない。
よく、保育園に行くと保育士さんとの間でトラブルや疑問が山積みになると聞くが、
ここではそういうことが全くなかった。
これから保育園に行ったら私もそういう経験をするのだろうけれど、
ここで、保育スタッフとの接し方も学べたと思う。そんなに難しくない。

保育園に行く直前のこの時期に、この講座に参加して本当に良かった。
カナエが集団で、ちゃんと楽しくやっていける子だとわかって安心した。
しかし同時に、「お母さんが迎えに来る」という約束を、
気持ちの支えにして頑張っていることもよくわかったので、
残業は最小限にして、なるべく早くお迎えに行こう。

よく言われる、「子どもが小さいのに預けて働くなんてかわいそう」なんてイメージから、
私は完全に自由になれたと思う。