いきなりこんな・・・?

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2004年秋

何となく、この秋冬に子供ができるのではないかと(まったく根拠はないが)思っていた。
もしこの秋冬に何事もなかったら、来年は3年の担任だし、卒業してから子供のことを考えようと。

この夏に、20年ぶりの喘息大発作が出た。
ステロイドという強い薬を何度も点滴して、発作を押さえた。
でもこの薬、もし妊娠していたら、かなりまずい薬でしょう?
ドクターに相談して、喘息の治療方針を変更した。
「発作が出たら押さえる」ではなく、「発作を日常的に予防する」方向へ。
毎日2種類の吸入を、朝晩やることになった。
面倒だけど、発作を予防できた方がいい。
もしも妊娠中に、この夏のような大発作が出たら、薬で抑えることもできず、母子とも危なくなってしまうから。

妊娠というのは、本当の初期はなかなか自覚できないものらしい。
早稲フィル時代の同期会があったが、一応、飲酒は控えてみた。
酒豪の私が飲まないのは不自然な姿なのだけども・・・

2004年10月15日

喘息の吸入器にはだいぶ慣れた。
効果はある。軽い風邪から喘息に発展することがなくなった。
学校はたいてい、インフルエンザが流行する。
この夏に喘息発作が出ているので、予防注射をしようと思った。
風邪やインフルエンザから、強い喘息発作に発展してしまうことがよくあるから。
この日はインフルエンザ予防接種の解禁日。肩口に注射してもらう。

2004年10月20日

とても眠い。眠くてしょうがない。
と先輩教員(女性)に話すと、「子供が出来ているのでは?」と・・・
でもそんなのがわかる時期ではないし、
インフルエンザの予防接種を15日にしてしまったから、妊娠していたらかなりまずい。
きっと、文化祭が終わって、疲れが出てきたのだろう。
今年は台風と重なって大変だったから。

2004年11月3日

10年前から欠かさず測っている、基礎体温が上がりっぱなし。
それも37℃近い。普段の高温期より高い。
もしかしたら妊娠かもしれない。

2004年11月4日

もしかしたら妊娠かもしれない。
というより、これが妊娠ではなかったら、厄介な婦人病だろう。それはまずい。
妊娠だとしたら、月末ぐらいにはツワリが起きるかもしれない。
私の母は3人子供を産んで、ツワリはなかったというので、私にツワリは起きないだろうと思うが、
ツワリで学校を休むこともあるかもしれない。
「もしも」と書いた箱に、自習課題のメモやビデオを入れて、机の上に置いておく。

2004年11月5日

トイレに行ったら出血していた。・・・・? 
妊娠ではなかったのか・・・? 
そこで、市販の妊娠検査薬を使ってみる。プラス反応、妊娠しているようだ。
・・・じゃあ、この出血は・・・? 
まさか子宮外妊娠とか、若い頃やった卵巣膿腫の再発・・・? 
30代だし、リスクは高いかもしれない。どうしよう、明後日は吹奏楽部の本番なのに。
もし、子宮外妊娠だったら、急いで手術をしないと私も死んでしまうかもしれない。

2004年11月6日

吹奏楽部、最終リハーサル。正顧問の先生(女性)に事情を話して、練習を早めに抜けさせてもらう。
本当は私の車で楽器を運ぶ予定だったけれど、それも取りやめ。
産婦人科の土曜外来最終受付にギリギリ間にあった。
この産婦人科は、自宅からも歩いて10分ほどの場所にある。古いが、内科や外科も併設。
尿検査の結果は「妊娠」、超音波検査をしてみると、子宮内に子供の影が見える。
つまり、子宮外妊娠ではない。とりあえずホッとした。

しかし、この出血と痛みは、「切迫流産の恐れアリ」とのこと。
切迫流産とは、「流産しかかっているが、投薬や安静で持ちこたえられる可能性が高い状態」のこと。
流産止めの注射を打ち、飲み薬が処方された。

「普通に生活したり、仕事していいんですか?」と聞くと、「安静がいいな!」との答え。
心配させないようにか、ドクター(女性)の口調は明るいが、あまり詳しい話はしてくれない。
一週間後にもう一度受診して、子供の育ち具合をチェックすることになった。

帰宅して、「保育」の授業準備に使っていた資料(妊娠・出産・育児に関するいろんな本)で
「切迫流産」について調べる。
本物の流産の場合、痛みは次第に強く周期的になり、出血も月経の比ではない・・・  
切迫流産を起こす妊婦さんは結構多くて、たいていは落ち着いていくという。
治療にはやっぱり、安静が基本らしい。無理をすると本物の流産になってしまうこともあると。

でも、どこまでが「安静」なんだろう。
授業って安静に入るか? 入るはずがない。
事務仕事は? パソコンは? 家事は?  スーパーで買い物するのは?  オーボエ吹くのは?
どうしよう。明日の吹奏楽部。
私は生徒のフリをして吹くのだ。私が吹かないと、何の曲だかわからなくなる部分も多いのだ。
そのあと明後日からの授業。火曜日の調理実習は、材料を発注してしまった。
それに水曜日からは三者面談の予定を組んである。どうすればいいんだ。
最初の検診から数週間経っても、子供が育っていない場合は、
お腹の中で死んでしまったと判断して掻爬、とも書いてある。  ああ・・・

実家の母に電話したら、母は私と弟を妊娠しているとき、2回とも切迫流産を起こしたそうだ。
私を妊娠しているときは兄が、弟を妊娠しているときは私が、
それぞれまだ1〜2歳だったために、抱っこしたり面倒を見ているうちに、
身体に負担がかかっていたのだそうだ。
でも、流産止めの薬を飲んで、軽い家事はやっていたと言っていた。

とてもじゃないけど、妊娠の喜びなんて気分にはなれない。
生きるか死ぬかの瀬戸際にいるような気がする。

2004年11月7日

吹奏楽部は、本番の時間だけホールに行くことにした。本番は5分間。
5分オーボエを吹くのも、トイレで5分いきむのも、大差ないはずだ・・・
と、自分に言い聞かせて。

顧問教師には、事前に注文を取って昼食が配布されることになっていた。(実費500円)
メニューは「小僧寿司」だったが、生のにぎり寿司だ。
問題なく全部食べられる。
私はきっと、ツワリだけは起きないのだろう。
切迫流産さえ収まれば、すぐに職場復帰だ。

・・・・・このときは、本当のツワリの辛さをまだ、知らなかったのです。・・・・・

ちょうど校長先生が見にいらしてたので、事情を話す。

帰宅後、もう1人の家庭科の先生(ベテラン)に電話して、
とりあえず月曜日は休むと話し、自習課題をお願いする。
偶然だけど、金曜日に作っておいた「もしも」の箱が役に立ってしまった。

2004年11月8日

休みを取って安静にしている。でも、出血が続く。だんだん心配になってきた。
この出血の中に、子供がいるのでは・・・?  涙が出てくる。

副校長先生と電話がつながった。大事な時期だから休んで良い、とのこと。
切迫流産の場合、「産休」を2週間前借りして取ったり、
妊娠障害休暇も10日間取れるから・・・と。
火曜日も休ませてもらうことにした。

2004年11月9日

今週はずっと休むことにした。
三者面談の中止を生徒に伝えてもらうことにした。
まだ、子供の状態がハッキリしないので、生徒に妊娠の話は伏せてもらうように頼んだ。
「クラスのことは大丈夫だから」といってくれた。涙が出そうだ。
出血はまだ続く。

2004年11月11日

検診の日より早いが、出血があるし、風邪で咳も出るので受診。
子供は生きていて、心臓が見えた。少し安心した。
でも切迫流産の状態は続いているので、本気の安静を勧められた。
安静とは、家事も仕事もやらず、なるべく横になっている状態のことを指すんだそうだ。
産休を前倒しで2週間取ることにして、診断書を書いてもらう。
診断書と自習課題の追加、ビデオを宅急便で学校に送る。
つわりのようなものも始まった。空腹時に気持ちが悪くなる。
咳止めとして漢方薬を出してもらった。でも漢方ってすぐには効かないのよ・・・

2004年11月12日

喘息管理で通っている内科医院へ行く。これまた自宅から歩いて3分。
普通、病院選びはいろいろ情報を集める物らしいけど、
私は「近いかどうか」「土日も受診できるかどうか」で決めている。
こんな時はこれで正解。切迫流産の状態で、遠くの病院なんて行けません。

妊娠したことを話し、薬を調整した。
やはりこの気持ち悪さはつわりのようだ。
クラッカーなら食べられそうだ。
で、内科医院の隣にあるセブンイレブンに寄ったら、おでんコーナーが出来ていて、
においに負けて帰ってきた。
おでん、好きだったのに、気持ち悪い。

2004年11月14日

つわり、本格化。すぐ吐く。
流産止めの薬や、咳止めを飲んでも、すぐ吐いてしまうのだけど、これで効果が出るのか? 
一昨日から、1日4〜5回のペースで吐いている。
体重を測ったら、この2日で3キロ落ちていた。
なんだか身体が苦しい。

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