リハビリ生活

たまご日記トップへ

3月に入ってから、職場復帰のためにリハビリを進めることにした。
もちろんツワリが消えたわけではなく、1日おきに吐いたりはしているのだが、
そろそろ普通の生活が出来るようにならないと、職場復帰だけでなく、出産や育児の体力もつかない。

リハビリ項目はこれだけ考えた。

(1)ひとりでスーパーに行って買い物をする。
(2)料理をする。
(3)家計簿付け、献立決めなどの事務作業をする。
(4)電車に乗る。
(5)1〜1.5時間ほど、町内を歩く。
(6)外食する。
(7)パソコンを使う。
(8)ミシンで洋裁をする。
(9)お客さんをもてなす。
(10)学校で仕事をする。


(1)ひとりでスーパーに行って買い物をする。

2月後半に出来るようになった。ただし、魚や揚げ物の売り場の前は通れない。
3月後半に、マスクなしでスーパーに行けるようになった。
ただし、魚や揚げ物の売り場の前は出来るだけ通らないことにしている。

(2)料理をする。

2月後半に出来るようになった。
でも味噌汁は作れない(匂いがダメ)
野菜をしっかり取るようにする。   いろいろ下手になっていた。

(3)家計簿付け、献立決めなどの事務作業をする。

2月初めに出来るようになった。
ただし、「医療費控除のための書類」を書くとき、3時間くらい根詰めていたら、
吐いてしまった。
事務作業は1日1時間以内と決めた。

(4)電車に乗る。

3月の後半に一度、15分ほど電車に乗ってみた。
座れれば大丈夫のようだ。
でも、ラッシュの電車で、いろんな人の匂いの中で乗る自信はまだない。
所沢の実家に移動するのもまだ厳しそうだ。
でもとにかく乗れたから。

(5)1〜1.5時間ほど、町内を歩く。

3月に入ってから、晴れた日の日中はなるべく歩くことにした。
歩くスピードはだいぶ遅くなったように思う。
3月後半からは、途中で休んででも、2時間くらい歩くようにした。
そのぐらい歩けないと、教師の仕事は勤まらないから。
だいぶ歩けるようになって安心した。

(6)外食する。

3月後半から数回やってみた。
あまり匂いの強くないお店を選んだ。
焼き肉・お寿司・キムチ・ニンニク・魚・ラーメン・・・・・・
そういったお店は避けた。
普通の和食やパスタ、ファストフードは大丈夫のようだった。
でも、一人前をしっかり食べると、多すぎる。
おいしく食べて、ああ大丈夫だったなと思っても、帰宅後に吐いてしまうことがよくあった。

(7)パソコンを使う。

2月まではパソコン画面を見ると目眩がしてしまい、あまり使えなかった。
現在もあまり連続しては使えないが、まあ何とかなってきた。
こうしてページの更新も出来るようになったし。

(8)ミシンで洋裁をする。

3月の終わりにやってみた。
まずは「ベビー・スリング」を縫った。つまり抱っこひも。
直線縫いで、すぐに出来上がる。問題なくできた。

実は、妊娠がわかるちょっと前に、「この冬はコートを新調しよう」と思って、
コートの生地を裁断していた。
ところが間もなく妊娠がわかり、同時に入院したり、普通の生活が出来なくなってしまい、
裁断だけしたコートの生地は、部屋の片隅に積んだままにしていた。

産んだら縫えないよねえ・・・と母に聞き(母も洋裁をする人なので。でも高齢になって、最近はあまりやらない)
まあ、出来なくもないけど・・・と母は答えるけど、やっぱり難しいと思った。
裁縫道具を出しておくのも怖いし。
部屋をしっかり分けて、ドアを閉めておけばとも思ったけれど、
「子供はすぐにドアを開けるようになる! ネコだって開けるんだから・・・」と母。

ええい、と縫い上げてしまうことにした。
コートはスーツよりもずっと部品が少ないし、ポケットを作って、
衿と袖を付ければできあがりだ。
仕上げて、クロゼットに吊しておいた方が部屋は片付く。ミシンも片付く。
3日ほどで仕上がった。

(9)お客さんをもてなす。

3月中旬に、フランス帰りの友人Bが来たときは、麦茶を出すだけだった。
3月終わりに、上海帰りのしんちゃんが来たときは、夕食も出せた。
このへんも大体、大丈夫になってきたみたいだ。

(10)学校で仕事をする。

4月1日復帰だが、いきなりフルタイムで働くと、また疲労から弱るかと思い、
3月28日から半日勤務をすることにした。
机を片付けたり、事務的な仕事をしたり・・・
やはり少し疲れたのか、勤務3日目の夜は、5回くらい吐いてしまったが、
日中は大体問題なく働けるようだ。
声も出るようになったし、授業も大丈夫だろう。
生徒が登校するようになったら、とにかくノンストップだから。
たまご中期(妊娠6〜7ヶ月)へすすむ