2009年12月(生後3ヶ月と4歳5ヶ月)

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クワイを煮ています

今年もおせち料理+チャーシュー+スノーボールを作っています。
買うのは黒豆と蒲鉾、鳴門ぐらいか。

実家ではおせち料理づくりは父の仕事でした。
全国標準の黒豆ではなく、栄養バランスが取れる「五目豆」
正月の肉系のごちそうとしてチャーシューを作っていました。
伊達巻きだけは、中学生の時から私が作っていました。


新潟風なので、筑前煮や煮染めではなく
「こにも」という塩味の煮物。重箱に盛るのではなく、
その都度、自分の器に暖かいのを盛ります。

結婚する少し前に、
父から「おせち料理の作り方」を聞いてメモしてあったのですが、
結婚後、実際に私が作っているのは筑前煮。
授業で「正月料理」として教えているのも筑前煮。(教科書に出ているから)
でも筑前煮って、何か普段のおかずっぽくてなあ。
こにもは正月だけの特別な料理です。
自宅では筑前煮、実家に行って、こにもを食べさせてもらう・・・という過ごし方でした。

しかし父も高齢になり(何しろ喜寿だ)
12月はじめに実家に行ったところ、
暗い顔で「・・・正月は、わからんぞ・・・」と言い出しました。

「俺はもう長くない」と20年くらい前から言い続けている父ですが、
もしかして、何か体に大きな問題が起きた?
と心配になり、思わず
「お正月まで生きられないかもしれないの?」と聞いてしまいました。

雷が落ちた。


正月、おせち料理が作れないかもしれない
(長時間、立ち仕事するには、足腰が弱ってきた)
と言いたかったのだそうです。

というわけで、毎年私が作っているおせち料理をちょっと増量し、
実家にも分けることにしました。
父が元気なうちに、こにもを含め、作り方を調整しておかなくっちゃ。


うつぶせで

娘が寝返りできたのは7ヶ月頃。
息子はいつになるかな?

私が床に座り、そのまま息子を膝に乗せておくと、
自分で足を突っ張り、床に転げ落ちて喜んでいます。
寝返りの素質アリ。

うつぶせにしたら、そのまま顔を持ち上げて笑っています。
これも、娘にはなかったこと。
(3ヶ月なら、そういう動きは珍しくないんだけど)

張り切って大掃除

保育園で「雑巾の絞り方」を覚えてきたそうで、
うちでもやりたがります。
雑巾絞りはまだ難しいかと思っていましたが、
やらせてみたら案外、サマになっていました。
また、クラスメイトと分担して教室の掃除をしてきたのが楽しかったそうで、
うちでもやりたがります。

「おかあさんは、ままごとと テレビをふいて!  あたしは いすをふくから!」
と仕切ってます。
息子がよだれを垂らそうものなら、
「あーーーーーっ、だめじゃーん! ふいて、ふいて!」

しかし見ていると、テーブル上と床を、同じ雑巾で拭いています。
フローリングの床は、クイックルワイパーで拭いて欲しいです。 

さんたさんは きたよ!

娘が寝入ってから、プレゼントを置きました。
ぬいぐるみが敷いている靴下にも、粒チョコを置いておきました。

もちろん娘、大喜び。
娘が今年欲しがったのが、

 「紙で作った腕時計」
 「サンタさんの人形」
 「サンタさんからのお手紙」

という、非常に素朴なものだったので、すぐに用意することが出来ました・・・
(他にもいくつか、プレゼントは用意しましたが)


「サンタ追跡」のサイトを見たら、
「サンタさんは北極の自宅に帰り、夫人にマシュマロ入りココアを作ってもらいました」
などと書いてありました。

   ふうん、おくさんが いるんだ〜
   もう、ほっきょくに かえったんだね〜〜
   ココアに マシュマロ いれちゃうの?

と、たったこれだけのサイト文章を読んでやっただけで、
かなり感心したようでした。

そう、何となくサンタさんの本場はフィンランドって気がしていますが(観光用サンタ村があるし)
本当は北極なのね・・・


イブも作ります

23日には鶏を焼きましたが、
イブの今日は、シチューとデザート、パスタを作りました。
2009年クリスマス料理

に追加しました。

保育園から帰ってきたらすぐ、
サンタ追跡

を見ました。

サンタさんはちょうど、北極で出発直前のセレモニー中(?)
まだ帽子も上着もつけていません。


セレモニーには数羽のペンギンも同席していました。
あれっ!?
ペンギンって北極にはいないんじゃなかった?
それとも絶滅したオオウミガラスか・・・・?

夜10時半の時点で、サンタさんはオーストラリア〜ニュージーランドにいるそうです。
それにしても・・・
グーグルが製作したらしき「サンタの通過地点」が、
どうも「第二次大戦の激戦地」を選んでいるとしか思えない。
日本は富士山でも東京でもなく、「硫黄島&父島」だし、
そのほかにもラバウルとか入ってました。

サンタさんがプレゼントを置けるよう、早く寝かせるつもりが、息子がいつまでもグズグズ・・・

靴下配り

サンタさんは靴下の中にプレゼントを入れる、と聞きつけた娘。
自分の枕の上に靴下を置いて寝ました。

「おかあさんも くつした おきなよ!」と盛んに勧めるんだけど、
靴下の上に寝るのはイヤです。

娘の靴下だって、あの寝相の悪さじゃ、
朝にはどっかに行ってしまってるに決まっている。
「ようすけの くつしたは ちいさいから おねえちゃんのを かしてあげるね」
と、自分の靴下を弟の枕(タオルを敷いただけ)の位置に置きました。

これだって、朝にはどっかに行ってしまってるに決まってる。
ぬいぐるみたちにも靴下を支給。
みんな、娘の靴下を枕にして寝ています。

ぬいぐるみたちの分まで、プレゼントは考えてなかったなあ・・・
一口チョコでも置いておけばいいかなあ。


明日の朝、娘がはく靴下はあるんでしょうか!?

十二支のいわれ

NHKの「にほんごであそぼ」という番組で、
「睦月・如月・弥生・・・」と月の名前を入れた歌がかかり、娘は喜んで覚えてしまった。
幼児はこういうの、すぐ覚えますね。
「じゅげむ」も「雨ニモ負ケズ」も覚えてしまった。

娘はこれを一生懸命私の前で暗唱し、
「すごい? あってる?」 と聞くのだが、
実は私自身、うろ覚えなので「あ〜よく覚えたね・・・・」と、返事がふらつく。
そう、子どもに(何か覚える系の)教育をするつもりならば、
親も覚悟を決めて、いっしょに勉強しなくちゃいかんのです。
あわてて図書館に行ったり、インターネットで調べている私。

このごろはこの番組で、「十二支」の歌がかかっているので、
娘は十二支に関心を持っている。

 あたしは なにどし うまれ?
 ヨウスケは?   おかあさんは?
 えーっ、おとうさんと おじいちゃんは ふたりとも さるどしなの?

なんて風に。

そして、ついに来た質問。
「どうして じゅうにしが きまっているの?」

はい。これは私、子どもの時に本で読んだので、説明できます。
東南アジアの某国には「猫年」がある、みたいな雑学は省きますよ。

絵本なしで、即興で「十二支のいわれ」を語ってあげました。

「・・・・牛さんは、足が遅いから、用心して、他の人よりも早めに出発したのね。
だから神様のところに一番乗りしたの。
ところが実は、ネズミさんが牛さんの上に乗っていて、
神様の前に牛さんが着いたら、 ぴょーん と飛び降りて、
私が一番乗りでーす!! っていったの。
だから、ネズミ年が最初なんだって・・・」

娘はどうやら、ネズミがぴょーんと飛び降りて・・・
のくだりが気に入ったらしく、何度も話して欲しがる。
そして、

「ねずみさん、 ちょっと ずるいね〜〜」

うん、ごめんなさい。私はネズミ年うまれです。 

クリスマス料理

さて今年もクリスマス。
クリスマス大好き。
キリスト教徒じゃないから、気軽に大好き・・・・飾り付けやプレゼントや料理が。  
本当は神と国と家庭について考える日だった?

娘は、「くりすますは さんたさんの たんじょうびなんだよね!」
と言っています。
ミラノで宣教師をしている友人も、
「うーん、日本ではどうも、サンタさんが主役だよねえ・・・」
本場イタリアでは、あり得ない話らしい。

どうやって説明したらいいのかなあ。
誕生日にわざわざ、年老いたサンタさんが、
そんな重労働をするわけないじゃないの!

一応、サンタさんが1人でたくさん配るのは大変だろうと気づいていて、
「さんたさん ひとりで たいへんだねえ  おてつだいが いるかなあ?」
なんて言っています。

私は5歳頃、娘と同様に考えたのか、
それともサンタの正体は父親とバレたので父が言い訳したのか、
「父は副業でサンタをやっている」と、すでに納得していました。
だから小学校に入る頃には「プレゼントは3000円ぐらいまで?」とお伺いを立てるし、
教師だった父は、クリスマスと言えば終業式で、「終わった終わった〜〜」と夜はたくさん飲んでいる。
だからサンタの仕事が出来なくなるじゃないかと、気が気ではなかった。

そろそろ、クリスマスのお話(3人の博士がベツレヘムへ行って・・・)
なんか読んであげてもいいのかな。
キリスト教徒ではなくても、そのぐらいは常識でしょうからねえ・・・・

私は小さいとき、ミッフィーちゃんのシリーズにそういう本があって、
読んだのを覚えています。
あと、小学校の時は友人つながりで、
近所のキリスト教会のクリスマスイベントだけ行ってなあ。
そこで賛美歌とか、クリスマスのいわれを知った気がします。

ともかく家庭のクリスマス。     2009年クリスマス料理
赤ちゃんがいたって、鶏ぐらいは焼きます。
手の掛かる料理は23日(祝)にやりますが、24日と25日もそれなりに、クリスマスっぽい料理を出します。

今日は食べる真似だけ。来年は何か食べられるものを用意しましょう。


サンタ追跡

北米航空宇宙防衛司令部(通称 NORAD) が毎年やっている、
サンタ追跡
今年は娘と見ています。
グーグルさんが、かなり協力しているみたいですね。

トップページは、北極(?)を出発したサンタが、世界各都市をすごいスピードでめぐっているアニメーション。
これを見た娘、
「さんたさん、がんばってるんだ〜  このぐらい はやくないと まにあわないよね〜〜〜」

ってなわけで、
サンタさん来訪に備え、部屋を片づけています。
よしよし。

うちには煙突がないので、サンタさんが深夜に来たら
私たち親がリビングで応対することになっている・・・
プレゼントはリビングに置いていくと思うので、
25日の朝はシャキッと起きなさいよ!   と説明してあります。

公園デビュー

まだ首すわりも怪しいのですが、
近所の公園に行き、すべり台をやらせてしまいました。
もちろん夫が支えて、ゆるくて短いすべり台に寝そべらせただけですが。

本人、「あっ新鮮・・・」という顔をして、
機嫌よかったです。

「おかあさんといっしょ」は50周年

50周年ということで、NHK教育テレビではいろんな企画をやっています。
大みそかはそれ関係の特番を一日中やるみたいです。

12月25日(金)の「おかあさんといっしょ」には、ピタゴラスイッチが出張。
アルゴリズム体操を、歴代歌のお兄さん・お姉さんといっしょにやります。
(先週やってた再放送) 今度こそ録画だ。


先日は、初代歌のお兄さん・お姉さんまで登場したコンサートをやっていました。
初代お姉さんは御年70歳以上でいらっしゃいます。
それでも「うたのおねえさん」な雰囲気なのはさすがでした。
たくさんの曲を番組のために作った坂田おさむさんも、もちろん出演。
つのだりょうこさんが出演していなかったのが寂しかった・・・
「すくすく子育て」の司会と、スケジュールがかぶったのかと思いましたが、
体調不良だったそうです。
コンサートは4日間、同じ内容で行われ、つのださんは初日のみ出演。
それだったら初日をオンエアしてくれればいいのに・・・?


コンサートの中盤、現役おにいさん・おねえさんが
「おかあさんといっしょのトルコ行進曲」を歌いました。
モーツァルトのメロディに、
おかあさんといっしょで取り上げられた歌やダンスのタイトルを歌詞として乗せた、
高難度の二重唱です。
お兄さんの表情が途中、固くなっていくのがわかります。難しそう。

あまりにすごかったので、HDビデオの一時停止&10秒戻し機能を使いながら、
歌詞を書き取ってみました。
著作権上、ここに歌詞を載せることは出来ないけど、やはりすごい。
よくこんなのを歌えたなあ〜〜
50年やっていて、歌はどんどんカバー版になっていくわけだから、
新しいおにいさん・おねえさんほど覚える曲も多いのでしょう。


むっくりくまさん

クマさんの着ぐるみ姿で外出している。
保育園送迎の時は、抱っこひもまたはおんぶひも(首が座ってきたので)。
かならず、娘の同級生ガールたちに囲まれる。

クマさんのフードを外してチュッチュッ・・・
このクラスで流行している遊び「むっくりクマさん」(カゴメカゴメに似ている)を
息子を囲んでワアワアと。

この状況を娘は、
「○○ちゃんと○○ちゃんが、ヨウスケにあこがれているの!」
と喜んでいる。

これが息子の人生、最初で最後の「モテ期」じゃないだろうなあ。

41歳の新入社員

前に勤めていた会社の有休を消化し、約3週間のおやすみをしていた夫。
ついに12月21日から、新しい会社へ出勤していきました。

前の会社からは19日に「退職餞別」として金一封が贈られてきたりもしたので、
けっこういいところだったんじゃないかなあ、とも思うのですが。

新しい会社は、フィギュアスケート大会のリンク壁に広告を出しているような、けっこう大きな会社です。
でも夫の部署はまだ創成期らしい。

とりあえず、早起きしないとねえ。

眠いからだったのね

娘が生後2〜4ヶ月の頃、顔をやたら引っ掻くのが気になった。
乳児湿疹がかゆいのかと思ったが、薬をもらって治っても引っ掻いていた。
爪をまめに切っても、
切りたてはエッジが立っていて尖っているし、2〜3日でまた伸びてしまってまた傷つける。
ミトンをはめてみたけれど、手をしゃぶるようになったのでかえって衛生面が心配。
そんなこんなのうちに生後半年を過ぎていた。

今ならわかる。
眠いと、顔を引っ掻く感じになるのね。
生後半年を過ぎると、手の甲で顔全体をクシャクシャとするようになるけど、
もっと小さい頃は、そんな器用じゃないから、
指先で顔のサイドとか、飛び出ている鼻とかばっかりいじっていたのね。

息子も顔を引っ掻くし、生傷が絶えないけど、
もうミトンも付けない。
爪は切るけど、多少顔に傷が付いてしまうのはもう仕方ないと思うことにした。
傷は、ちゃんと治るしね。


勇気をちょうだい

季節性インフルエンザの予防接種を受けに行ったとき、
小児科の待合室で、偶然、娘の大好きなTくんに会った。
娘はすでに接種を終え、泣いた顔をしていたが、Tくんに会うなりご機嫌に。
偉そうに「ゆうき、あげるよ!」と手を握ってTくんを送り、
「なかなかったよ!」とTくんが戻ってくると、「ゆうきあげたからね〜♪」

新型インフルエンザの予防接種は、なかなか予約が取れなかった。
私のかかりつけ医は月曜日に電話予約を受け付けている。
隣町の大きな小児専門病院は水曜日に受け付け。
ひとまずかかりつけ医に電話してみたが、何度かけてもつながらない。
2分おきに20回近くかけ直して、ようやく予約できた。
今年は育休中だからこんなことできたけど、復帰したらこんな電話、とてもかけられない。

かかりつけ医に娘を連れて行く前にTくんに「てをにぎってもらって、ゆうきをもらった!」
と言っていたので、
「じゃあ泣かないで行けるよね!」と聞いたところ、

「しょうがっこうに はいるまでは なく!」とイヤな宣言をする。
宣言通り、大泣きだ。
大変だった。
でもまあ、来月の追加接種と、「ゼロ歳児の保護者」のための接種予約は出来た。


小児専門病院のある隣町では、子どもへの集団接種をしていて、
その町の住民は保健センターで予約することになっていた。

私の町はどうなってんだい、と思っていたら、
ようやく昨日、「集団接種のお知らせ」というプリントが配られた。
市内幼稚園・保育園児100人に、保健センターで接種するとのこと。
ただ、この年代の子どもは市内で1000人以上いるはずだから、
ワクチンが足りないことには違いない。
申し込みは往復葉書でとのことだから、抽選なのね。

ただし、ワクチンを打っても感染はするし、
インフルエンザは通常、自然治癒する。
このことだけは覚えておきたい。

どちらにしようかな

このところ、娘に「どっちにするの?」と聞くと、
かならず

「どちらにしようかな しゃちょうさんの いうとおり」
と、いちいち指さし占いをしてから決める。
決めた結果は、
「おみみ かして!」
と耳に口を寄せ、ささやいて答える。

本当に対した内容は聞いてない。
「ハムとトマト、どっちを先に食べるの?」とか
「今日、髪をしばるゴムはどれにするの?」
程度のことである。

だいたいなぜ、「天神様」や「神様」の言うとおり(私が子どもの頃はそうだった)ではなく、
「社長さんの言うとおり」なのか!??

ぼく? おれ?

息子が喃語で「あうー、あー、うきゅー」
としゃべっているときは、
かってにセリフを付けて翻訳し、会話を無理矢理している。

たとえば、娘に夕食を食べさせているとき、
息子が「あー、うきゅー(徐々に泣き顔に) へっへう〜 え〜〜ん・・・」
となったときは、
「何だよ、姉ちゃんばっかり食べてて、俺のメシどうなってんだよう!!」
と文句を言っているのだ。
ということにしている。

ところで、息子に自分のことを「僕」と言わせるか、「俺」と言わせるか。
「俺」じゃ乱暴ですかねえ。
中学生の頃、同級の男子生徒たちが、次々に自分のことを
「僕」ではなく「俺」に言い方を変更していたのを覚えているが、
(私の兄弟も同様だったと思う)
そんな時期がいつかは来るんでしょうねえ。
大人になれば、仕事中は「わたし」というのが男女とも標準だ。

娘に、「保育園の男の子たちは、自分のことをなんて呼んでるの?」と聞いたところ、
「○○くんは ぼく。 ×○くんは おれ。 △△くんは ぼく・・・」と列挙し、
「ぼくって よんでるこが おおいね」とのことだった。
ちなみに娘は、家では自分のことを「カナちゃん」と呼んでいる。
保育園ではどう呼んでいるかというと、「あたし」と呼んでいるとのこと。
家と外の違いを付けているのねえ。

私は3〜4歳の頃、兄の影響もあって、自分のことを「僕」と呼んでいた。
親や近所の人に「女の子が 僕 じゃおかしいよ」と言われても、
「わたし、なんて女の子みたいでヤダ〜」と思っていた。
女の子だってば。
結局妥協して、「あたし」と呼ぶようにしたのだった。

息子はとりあえず、「僕」と呼ばせることに・・・?

北極に帰っちゃうよ


もうすぐクリスマス。
本当に、部屋の片づけにサンタさんを使わせてもらいました。

「散らかしておくと、プレゼントを置く場所がないからって、サンタさんが北極に帰っちゃうよ!」
と言えば、あわてて片づけます。

クリスマスが終わったらどうしようかなあ・・・
節分の鬼にでも頼るかなあ。


同期会

同期採用の友人たちで集まって、ホームパーティー。
毎年集まっているのだけれど、今年は産後間もない人も多いし、
難しいかなと思っていた。
でも実現。 ありがとう!

娘もこの会を楽しみにしていて、
「あした あそびに いけるんだよね!」と前夜、会場宅の娘さん(5歳)と長電話していた。

いつも子どもは大勢来ているんだけど、
今年は5人、赤ちゃんが産まれたので、子どもの人数はなんと13人。
その親を含め、30人近くが集まった。
圧巻。
保育園の延長保育よりも、子どもの人数が多いんだから・・・

同期会のおもたせ品

同期会では、子どもが料理してピザを作ったり(生地は会場宅で作ってくれている。ありがとう)
何か持ち寄ったりしている。

私はいつものようにチャーシューとお菓子を作った。

これはアーモンド粉をたっぷり入れたフィナンシェ。
醤油と蜂蜜を加えて、焦がしバターの風味を演出してみた。
これはスノーボール。
以前つくって以来、娘がすっかり気に入ってしまって、
「つくって つくってえ〜〜!」の連呼。
中がつぶしたアーモンドスライスでザクザクしており、
外側の粉砂糖がまたおいしいのだそうだ。
これはちょっと失敗。
いわゆるカップケーキ(砂糖:玉子:小麦粉:バターを1:1:1:1で合わせたもの)に、
苺の粒ジャムを混ぜて焼き上げ、抹茶入りのアイシングをかけたもの。
ところが、ケーキの型が思ったよりも薄くて柔らかく、
焼いているうちにデロ〜ンと型くずれしてしまった。

今度から金属型も併用しよう。
こんな感じの詰め合わせ。
抹茶アイシングカップケーキ   スノーボール  クラッカー(市販品)
型抜きクッキー  醤油入りフィナンシェ

全部食べると600キロカロリー近いです。
お菓子って怖い。

ラッピング袋には、娘がクリスマスっぽいシールを貼り付けて飾りました。
一袋にまとめて、当日子どもたちにプレゼント。

娘は帰り道、「おなかぺこぺこになっちゃった〜」と、
いつの間にか電車の中でスノーボールを食べていました・・・

92年のジュニー

同期会の会場になったのは、ここの掲示版にもときどき書いてくれる「ひめ」さんのお宅です。
先月の「二段ベッド編」に
「ジュニー」という少女雑誌の思い出を書いたところ、
ひめさんが以前、記事として載った号を譲ってくれました。ありがとう。

ひめさんは高校時代、アメリカに留学していたことがあり、
そのときの様子をレポートした記事でした。
ひめさんの卒業記念パーティー(アメリカドラマでよく取り上げられる、「プロム」ですか?)
の記念写真も載っていました。

これは「高校留学を考える人のために」という記事で、
アメリカの他、フランスやインドネシアに留学した人の話や、
逆に韓国や西ドイツ(統一前!)から日本に留学してきている人の話が出ていました。
また、留学生を受け入れている高校の先生や、生徒を留学させている高校の先生の話も出ており、
かなり現実的。ジュニーはこういうきちんとした記事がいいのよね。

ファッションページや投稿ページ、少しだけある芸能ページは懐かしい感じでした。
そうそう、90年代ってこんなだった!
そして寝言のようなポエムも・・・こんなにあったかなあ。


92年は私はすでに大学生で、ジュニーは読まなくなっていました。
ジュニーは89年終わり頃に一度、ロゴや判型、内容のリニューアルをしており、
そのリニューアル1号だけ買いましたが、手作りページは激減しているわ、何か浮ついた記事が増えてるわで、
2号以降は買わなくなり、「装苑」に替えたのでした。

92年のジュニーはまだ鎌倉書房の発行で、ちょっとは手作りページがあり、
人気モデルのジョディ・ブラウンさんも活躍中でした。
でも同じく人気のあったティナさんやジューンさんは、もう出ていないのねえ・・・

今は装苑もモード発信に特化されて、洋裁ページはなくなっています。

大泉門の会話(想像)

同期会には、息子とほぼ同じ月齢の赤ちゃんが4人もいた。
もちろんまだしゃべれない。

娘の時にもときどき思ったが、
しゃべれない赤ちゃんは、大泉門から電波を出して会話してるんじゃないだろうか。

大泉門というのは、赤ちゃんの前頭にある頭蓋骨の隙間のこと。
生まれるときは、この隙間を利用して頭蓋骨をずらし、
産道をムリヤリ通り抜けてきます。すごいね。

生まれてしばらくは、この透き間が開いたままなので、
額の生え際あたりをなでるとペコッと柔らかいです。
皮膚からダイレクトに脳? ちょっと怖い。

この大泉門は1歳半くらいまでに閉じます。
ちょうどそのころから喋るようになるので、
それまではきっと、大泉門から電波を出して会話してるんだよ。


息子は12月に入ってから、便通が2〜3日に一度になっている。
別に赤ちゃんの便通は、それで異常ではない。
(ミルクも母乳も消化がよいので、カスは数日ためてから出す子が多い)

ところが、同期会の最中に1回ウンチ。
そして帰宅してからも1回。今日は同期会から2日後なのだが、
この2日間、毎日4〜5回もウンチが出ている。
これはきっと・・・


「ウンチが2日に1回? それはよくないバブよ」
「そうかなあ。別に気持ち悪くはないバブよ」
「毎日出れば、もっとスッキリするバブよ」
「そうだよ、君はメタボベイビーって呼ばれてるんだろ? 便秘解消はスリムへの近道だバブ」


ってな会話が、大泉門で交わされたに違いない。
ウンチが出るとニコニコです。


100日目のお食い初め

息子の100日お食い初め。
食器はどうしよう!?
娘の時は、初お宮参りに行ったとき、
神社から「お食い初め食器セット」をいただいたのですが、
息子は境内参拝のみなので、食器はありません。
娘の食器セットは離乳食に使ったりして散逸しています。

そこで、お正月用の重箱を使いました。
一見豪華。
松花堂弁当みたいな構成に。
でも実際には、すごく簡単に作っているのです。
鯛の尾頭付き、立派なのを魚屋さんで注文することもできるけど、
この鯛飯のもとを使いました。
小振りな鯛が、一尾入っています。

煮物は作りました。普通の味付けです。
お刺身は買ってきた。
赤飯は簡単に炊けるキットがあります。
あとはお吸い物を作り、
デザートとしてリンゴゼリー(クリームとリンゴコンポートのせ)を作りました。
実際のところ、あまり大がかりにすると、産後3ヶ月の身には重いですからね。
親族を集めて盛大にやる家は大変だろうなあ・・・
食べさせる真似だから、
本人はよくわかってないんですよね。数分で終わっちゃうし。

でもとにかく、
食うに困らぬ人生になりますように。

さざんか咲いた道

私が3〜4歳の秋、兄と近所の女の子と一緒に、
落ち葉を拾いにいったときの写真が残っています。
私は猫のぬいぐるみを抱えています。当時、いつも持ち歩いていたそうです。

   ところが、このとき私は、猫のぬいぐるみをどこかに置き忘れて帰ってきたのです。
   写真が残っているのですから、父が一緒にいました。
   落ち葉拾いの途中まではぬいぐるみを持っていたことも、ちゃんとわかります。
   どこでどうして、なくしてしまったのか・・・

   私は帰宅してから猫がないことに気づき、毎日大泣きして大変だったそうです。
   何しろ、寝るときも一緒だったし、
   私の娘のように、ぬいぐるみを数多く持っていたわけではありませんでしたから。
   「ねこちゃんが いないと ねむれないよう〜〜」と・・・



さて、それから30(+α)年。
娘は保育園で「たきび」の歌を習ってきました。

  さざんか さざんか さいたみち〜〜♪

非常に気に入ったらしく、よく歌っています。
「さざんかって なーに?」と聞かれました。
そういう木があって、今頃お花が咲くんだよ、と説明しましたが、
今ひとつピンとこない様子。

近所の高校の垣根が、さざんかで出来ています。(よく考えると、今どき贅沢ですね)
高校まで散歩しました。
足下にはイチョウの落ち葉がたくさん落ちています。

娘は猫のぬいぐるみを抱えています。
「これが、さざんかだよ」と教えると、
「わあ〜〜」と、鮮やかな花に目を奪われてながら、
落ちている花びらを拾いながら歩いています。

まだ幼児なので、片手でぬいぐるみを抱えながら花びらを拾うのは、難しい。
そうこうしているうちに、ぬいぐるみが邪魔になってしまったのか、
「おかあさん ねこさん もってて・・・」と頼まれました。
息子を乗せたベビーカーもありますから、
私は内心、自分で持てないなら持ってこなければいいのに〜 と思いましたけども、
なくしても困るので預かりました。



落ち葉。ねこ。ぬいぐるみ。
両手にいっぱい拾って喜ぶ子ども。
私がぬいぐるみをなくしてしまったときの、あの写真によく似た風景。



何となく、私がなくしてしまった状況がわかるような気がしました。
あのとき、
きっと私は落ち葉拾いに夢中になり、ぬいぐるみを父に預けることも思いつかず、
落ち葉をたくさん拾っているうちに、片手で足りなくなり、
そこら辺にぬいぐるみを置いて、

・・・・そのまま置き忘れてしまったのでしょうね。




   父は通った道を全部歩き直したり、近所の幼稚園にも聞いたりしましたが、
   結局見つかりませんでした。
   毎日泣いている私を見かねて、
   似たようなぬいぐるみを買ってきてくれて・・・
   子どもは「これ、ちがう!」と余計いやがることもあるので、
   どうだろうかと思ったそうですが、私はあっさり受け入れたそうです。

私はその、なくしてしまったぬいぐるみのことは覚えていません。
でも、新しいぬいぐるみを買ってもらったときのことは覚えています。
白くてかわいくて、嬉しかったです。
なくしたぬいぐるみの「替わり」である、という意識はなかったと思います。
そして、そのぬいぐるみは今でも実家にあり、娘の遊び相手をしてくれています。

今月はどうも、娘の行動から自分の幼児時代を思い出すことが多いなあ・・・
子ども時代の記憶は、4歳頃の分から残るのかもしれないですね。


飲んべえの予感

自宅近所の商店街は、いろいろなことをやっています。
たとえば「子育て支援カード」の発行。
中学生以下の子どもがいる世帯に1枚ずつ、カードが発行されます。

この商店街だけではなく、市内の多くの店が協賛してくださっているのですが、
協賛店でカードを見せると、
全商品割引とか、おまけが付いてくるとか、デザートやドリンク無料とか、お店のポイントカードが倍に・・・
などなど、お店によっていろんなサービスが受けられます。

今日は、商店街の企画で
「服のリサイクル」をやっていました。
古着(今回はセーター、ズボン、トレーナー、ワイシャツに限定。夏はポロシャツだったなあ)を
回収場所に持っていくと、1着につき100円分の商品券(この商店街で有効)をもらえます。
子供服でもOKなので、
娘の着られなくなった服・いかにも女物なので息子には下げられない・名前を書いちゃったのでよそへのお下がりにもちょっとね・・・
という服を15枚、持っていきました。
1500円分の商品券をもらえました。
素晴らしい企画です。

さらに回収場所では、甘酒も配っていました。
私は普通のお酒は好きですが、甘酒だけは苦手・・・
夫はたっぷり飲み、
娘は、はじめての甘酒。
どうだろうと思ったら、「おいし〜〜  なかのつぶつぶが、パンみたい!」
と、喜んで飲んでいました。

お代わりしそうな勢いだったのですが、まだ4歳なので一応ストップ。
こんなに気に入るなんて・・・・・・・
将来が心配? 楽しみ?

はじめての受診

娘は生後4週間で、便秘や湿疹を心配して小児科を受診したのですが、
息子についてはかなり扱いがぞんざい・・・

2日ほどウンチが出なくても、「いずれ出るさ〜」
(実際、その翌日ぐらいには出る)

多少の湿疹も、「乳児湿疹は仕方ないよね〜」
と、放置。頭皮の固まりにオリーブオイルを馴染ませたり、ほっぺたにベビークリームを塗るぐらいはするけど。

向き癖も「ネンネの時期は仕方ないさ〜」
吐いても「ケロッとしてるし、体重も増えてるから大丈夫だろ〜」
ツメで顔に傷が付いても「赤ちゃんのツメは薄いからなあ〜 切ったら切ったでかえって尖っちゃうし」
娘の時は、昼夜逆転にも悩みましたが、息子にそれはない。

などなど。


これ全部、娘の時には、気になって受診しています。
こういうのが小児科を忙しくさせてるんですね。ドクターごめんなさい。
いかにも新米ママです。

そしてドクターが「まあ、様子を見て・・・」とおっしゃっても、
「様子を落ち着いてみるなんてできない〜 何かとんでもないことの始まりだったら〜?」
と、オロオロしていたのでした。

でも、これ全部、実際のところ「様子を見る」しかないことばっかりなのですよね。
今回は、様子を見てました。そして「受診するほどではない」と、まるで気にしてなかったのです。


その結果、息子は生後3ヶ月に入ったのに、まだ小児科のかかりつけ医が決まっていませんでした。
イヤ、かかりつけ医は娘と一緒なんですけど、まだカルテがどこにもない。
月末にはBCGを接種するのに、これはさすがにまずいかなあ・・・と。

乳児湿疹が今でも消えなくて (3ヶ月じゃ、消えなくても異常じゃないことは知ってるんだけど)
ここ数日、赤みがあるので、保湿剤&炎症止めのクリームをもらいに行きました。
すいている時間に行きましたが、
すみません、これだけのことで受診して・・・
でも地域の医院にこの子のカルテがあるってのは、親としては安心できます。

はじめての果汁

娘の頃(4年前)は、
生後2ヶ月頃から果汁を飲ませても良い・・・
でも5ヶ月頃まで母乳&ミルクでも良い・・・
と、何か曖昧な指導でした。

私は間を取って4ヶ月から果汁を飲ませようと思ったのですが、
初孫にいろいろ与えたい(?) 私の母が、
2ヶ月になったとたん、イソイソと果物を持ってきて、
しぼって飲ませてしまいました。 ま、いっか・・・

現在は、「5〜6ヶ月まで母乳&ミルクでも良い」とはっきり言われています。
母にもそう伝え、6ヶ月まで何もあげないつもりでしたが、
あちこちから果物をたっぷりいただきました。
せっかくだから。
別に、3ヶ月で果汁をあげて、悪いわけではないんだし。

しぼって飲ませました。まずはリンゴ。 翌日は柿。 その翌日はミカン・・・
とても喜んで飲みました。
スプーンから飲むのは初めてなので、こぼしやすいです。
口の少し中までスプーンを入れると、うまく行きました。
飲むとニコニコします。スプーンを当てると口を開きます。
気に入ったのね・・・

今までだって、機嫌がいいからと息子をラックに乗せ、その前で大人&娘だけで食事をとっていると、
急に泣き出したりしてたもんね。
これはきっと「オレのごはんは、ないの?」と言いたかったんだろうなあ。

おなかをこわすこともなかったので、ときどき飲ませてみましょう。
 

散歩ニアミス

育休中なので、仕事はありません。
息子をベビーカーに乗せて、散歩&買い物をするのは、
冬ですから暖かい昼前あたりになります。
すると、ちょうど保育園も散歩の時間です。

娘のクラスとバッタリ会ってしまったら、良くないよねえ・・・
「里心」みたいのがついてしまったりして。

クラスには、お散歩コース内に勤め先があり、
どうしても散歩中に母子が会ってしまう人もいます。

そんなとき、どうなってる? と娘に聞いたら、
「そのこは、おかあさ〜ん  って、はしって いっちゃってるよ」と答えます。
お散歩中は、お母さんに会わない方がいいと思う、と娘自身が言っています。

それで、かなり気を付けていました。
散歩&買い物を済ませ、もう少しで自宅の前に・・・
というとき、数十メートル先に「黄色い帽子をかぶった幼児の列」が・・・
黄色い帽子は娘のクラス。
まずい。  サッと横道に入り、迂回して帰宅しました。

駅前のスーパーで買い物していたら、水色の帽子の集団が・・・
水色帽子は年長組。顔見知りの子もたくさんいます。
買い物実習をしていたそうです。

なかなか、気が抜けません。

1人でお出かけしても・・・

夫は転職前の休日を過ごしているので、
私1人で半日、自由行動をさせてもらいました。

電車に乗って、少し離れた大きな町へ。
ああ、デパートとか行くのって久しぶり〜〜
最近増えてるショッピングモールも何でも買えるけど、
この「特別感」はデパートならでは、だと思う。

何でもピカピカに見える〜〜

でも結局、子どものためのクリスマスプレゼントを買い、
大きな布屋さんに行って、子どものための生地を数種類買って、
それだけで帰ってきました。
化粧品も自分の服も買わなかったなあ。
そんなもんですね。

大きな布屋さんに行くと、とてもワクワクします。
地元の布屋さんでは、残念ながらここまでの品揃えはない。
布屋さんを歩いて、かなりリフレッシュしました。

やっぱり洋裁中毒。

すぐに、娘とお揃いのエプロンを縫いました。
お揃いエプロン2009


お遊戯会2日前

3〜4歳児クラス(年少組)のお遊戯会は、

 (1)全員で行う劇「ももたろう」 (娘の役はナレーター)
 (2)女の子8人で出るダンス
 (3)男の子8人で出るダンス
 (4)男女各4人で出るダンス  

の4つの演目に、分担して1人2つずつ(劇とダンス1曲)出ます。
誰が何に出るか、劇の配役などは、子どもたちの立候補で決めたそうです。
娘ははじめ、「桃太郎のおばあさん役」を希望していたそうですが、
  (何しろ、将来の夢が「おばあさんになること」だった時期もある)
いつの間にかナレーターになっていたそうだ。
あとは (2)の女の子8人ダンスに出る、とのこと。

2日前は、「衣装つき総リハーサル」
写真館スタッフが来て、記念写真も撮ります。
子どもたちのリハーサルでもありますが、裏方である先生方のリハーサルでもあります。
子どもたちの舞台入れ替えや背景・音響入れ替え、
ヘアメイクや着付け(子どもは自分でできないから)の時間を計ったり段取りを決めたり。

  かつて家政科の高校に勤めていたとき、
  ファッションショーの指導をしていた頃のことを思い出しました。
  衣装が完成することも大事ですが、
  ショーとして構成するためには、「着替えが間に合うか」「楽屋の整理」「間延びしない構成か」「客席配置」
  などが実はすごく重要で、これは教員が全体を見てアドバイスする必要があります。
  まあ、和服の着付けを除いては、ヘアメイクや着付けは生徒にお任せできるのが高校のラクなところ。


保育園からは、
「今日から髪を切らないでください!」という指令も出ました。
今日、髪型を決めたので、たとえば「ロングで編み込み」の予定だった子が、
いきなり当日ショートヘアになってたら困るわけですね。
付け毛をする子もいるし、娘は目の回りにラメを付け、ピンクの口紅を塗ることになったそうです。
ラメなんて私だって使ったことないわ。

帰宅した娘に、リハーサルの様子を聞くと、
「だいたい うまくいったけど・・・」と、なんか歯切れが悪い。

疲れているはずなのに、消灯してから2時間近く眠らない。
息子は授乳も終わって寝入っているので、夫に寝かし付けを替わってもらった。
30分後、ようやく寝室を出てきた夫に様子を聞いたら、

「きんちょうして ねむれないよう・・・」
と言って、なかなか眠らなかったそうだ。

翌日(つまりお遊戯会の前夜)も同様に、
「きんちょうして ねむれないよう・・・」と言いながら、
ベッドの上をゴロゴロしたり、頭を上にしたり下にしたり、
私の腕を抱えたり、布団をかぶったり外したり・・・
と、寝入るまで2時間近く落ち着かなかった。

「緊張」なんて言葉、どこで覚えたんだろう?
意味、わかってるのかなあ?

お遊戯会前日

通常保育だけど、もちろん劇やダンスの練習もしたそうです。
娘は鼻息荒く帰宅して、いちおううがいと手洗いを済ませると、
ウトウトして横たわる弟の横に座り、
「1人リハーサル」を始めました。

「むかーしむかし あるところに おじいさんとおばあさんが すんでいました・・・」
から始まり、
ナレーターのセリフだけではなく、
全役の全セリフ、挿入歌、挿入ダンスも全部・・・・・・・・・
ああこれ、大人になってもできるならば、立派な宴会芸になるのに・・・・
という勢いで演じていました。

息子は眠くて「へっへっへう〜〜・・・」とぐずり始めているのに、
娘が息子の真横にピッタリはりつき、
あまりに鬼気迫る雰囲気なので、母なのに割って入ることができません。
「これで ひまわりぐみの ももたろうを おわります  きょうつけ れい!」
という、ナレーターの最後の挨拶で、
「1人リハーサル」が終わるまで待ってました。

息子よ、これも明日で解放されるからね・・・・


お遊戯会当日

息子はベビーシッターさんに頼み、夫婦揃って見に行きました。

今回のシッターさんは、娘が1歳児クラスの頃に何度もお願いしたかた。
  入園した年(復帰した年)は頻繁に娘は熱を出し、
  熱を出したその日は仕事をむりやり休んでいましたが、
  何日も授業に穴を開けるわけにも行かず、でも保育園の集団に戻すのは心配で、
  そのたびにベビーシッターさんをお願いしたのでした。
  シッター料金、1年間で10万円を超えました。
  シッターさんにお願いした倍以上の回数、実家の母にも頼みました。
  0歳児クラスで入園・復帰を避けても、
  やはり入園した最初の1年間は、すぐに体調を崩すものです・・・
  3歳児クラスから入園した子もそんな状態なので、
  専業主婦が幼稚園に子どもを通わせても、年少組の頃は休むことが多いのでしょうね。
  ワーキングマザーが「働くから子どもが体調を崩すの?」と自分を責める必要は、
  本当はないんだろうなと、今は思います。
  ただ、子どもが体調崩しているとき、心ゆくまで自分で看病はできないときは切なかったです。

現在は町に病後時保育室ができ、
シッター利用も職員福利厚生で補助金がつくようになり、
娘も成長とともに丈夫になって、シッターさんをお願いすることはなくなってきました。
娘が体調不良で欠席したのは、今年の4月中旬が最後です。
もう半年以上、熱も喘息発作も出ていません。
子どもは必ず育つので、親の皆さん頑張りましょう。


娘はシッターさんと再会したわけですが、まるで覚えていませんでした。そんなもんですね・・・
初対面のお客様として、今日のお遊戯会についてとか、最近かいた絵などを見せたりしてサービス。
いいから、シッターさんに引き継ぎさせてちょうだい・・・
シッターさんは「大きくなりましたねえ」と驚いておられました。



娘が「1人リハーサル」に励んだ、 「ももたろう」 の劇。
かわいらしい着物を着せてもらい、ナレーター相方の男の子と舞台袖に登場。
2人で声をそろえて、長いセリフも危なげなく語っていました。

桃太郎が、犬・猿・キジに次々出会い、きび団子を渡して家来にしていくシーン。
きび団子をもらうと、「おともします、えいえいおー」とかけ声をあげるのですが、
何の手違いか、
キジの分のきび団子がありません。
キジ役の子は手ぶら・・・
なのに他の子は気づかず、「えいえいおー」とかけ声をあげてしまいました。

キジ役の子は泣きそうな顔をしています。



   私はこの時、不意に自分の幼稚園時代のことを思い出しました。
   幼稚園で開かれた、5歳のお誕生会。
   年中組でした。今の娘よりも1学年上。
   娘の保育園同様、保護者が招かれ、ミニお遊戯会みたいなことをします。
  
   前日のリハーサルの時、
   お誕生者は名前を呼ばれたらステージに上がる・・・練習をしていました。
   ところが、私の名前が呼ばれないのです。
   司会の先生は、まったく気づいていない。
   私はショックで、その場で大泣きしました。
   でも、先生はなぜ私が泣いているのか、わかってくれませんでした。
   私も、「せんせい わたしも 2がつうまれなのよ」という一言が言えませんでした。
  
   当日もやっぱり名前を呼ばれませんでした。
   私はもう泣かず、黙ってステージに上がりました。
   見に来ていた母が、「名前呼ばれないけど、登っちゃって良かったの?」とあとで聞いてきましたが、
   「いいのよ」と答えたのを覚えています。
   母に招待状が来ていたし、私にもステージ上で名前入りのプレゼントをもらえたので、
   誕生者リストには入っていたわけです。先生の台本から抜けていたんでしょうね。
   子供心に傷ついた・・・ ほどではないけれど、
   30年たっても私は覚えており、「生徒のリスト漏れにかなり気を遣う」仕事ぶりにはなったのでした・・・

ほんの一瞬の間に、5歳の時の記憶がよみがえりました。
キジ役の子、ショックだろうな・・・  大丈夫かな・・・



そのとき娘が、
「ちょっと、たりないよ!」と声をあげました。
もちろん台本にはないセリフ。 ( 「1人リハーサル」 になかったからね)
でもタイミングがちょうど合っていたので、
まるで最初から台本にあったみたいで、観覧者の笑いを誘いました。

舞台袖に控えていた先生が気づき、
「きびだんご、そこになあい?」と声をかけてくださり、
無事、キジ役の子にもきび団子が渡されたのでした。

娘はあの頃の私よりも幼いのに、ちゃんと急場に対応できたんだ・・・
と、我が子ながら驚き、感心しました。
お遊戯会が終わってから、同じクラスのお母さんに「偉かったね、優しいね」とほめられました。

帰宅後、娘をほめたら、
「Sちゃんが こまってるから」
と、キジ役の子を心配していたそうですが、
それ以上に、
「だって、 きびだんごを あげないと、 けらいに なってくれないんだよ!」
と、力強く答えました。

娘の頭の中では、「桃太郎の世界」が本気で展開されており、
きび団子をもらえないので、キジが家来にならないのではないかと、
とても心配していたのでした・・・


お遊戯会翌日

夫は大阪へ行ってしまいました。
実家の義父上の様子を見に行くのと、同窓会でゴルフをやるからと言って・・・(でも7人しか集まらないのって・・・)

首も座らぬ息子と、4歳の娘を、まとめて私1人でお風呂に入れるの!?
だからといって、実家は寒いから、12月に泊まるのは風邪を引かせそうだし。
というか、高齢になった私の両親が、孫2人の相手を宿泊でするのは過労になってしまいそう。

でも娘が「お遊戯会のビデオを見せるの!!」と張り切っているので、
日帰りで実家に帰り、ビデオを見せてきました。

私の5歳お誕生会の思い出を母に話したら、
母はまるで覚えていませんでした・・・


こぐまちゃん

冬です。コートのかわりに着ぐるみを着せます。  息子はこぐまちゃんにしました。

娘はこうさぎちゃんでした。  2人とも獲物みたいだ。

握って移動

軽いものなら握っていられるようになりました。移動の時は自分でよだれ拭き用ガーゼを握る。


赤ちゃんも注目を集めたい

息子が、目覚めてはいるけれど機嫌良くしている(黙っている)ので、
私は少し離れた場所で家事などしていることがあります。
しばらくすると、「うえーん」と泣き出し、
膝に乗せてやるとニコニコします。

近くにいて、添い寝していても、
息子の方を見ずに本を読んでいたり、夫と会話していたりすると、
これまた「うえーん」・・・

どうやら、赤ちゃんながら、自分が中心にいないとイヤなようです。
娘は女王様でしたが、息子は王様。
二大巨頭体制ですね。
イヤ、私がカカア天下にしているから、
これはもう「トロイカ体制」なのか?

子どもってよく見てるなあ・・・

このところ娘は、
絵を描くのが気に入っています。

家族の絵なんだそうです。
あと、時計の絵も。


私は息子に添い寝して、
息子が寝入ったら、ダミーとして掛け布団を息子の身体に沿わせ、
離れています。

その様子を娘はちゃんと見ており、
息子にくっついてしばし遊んだあと、離れるときには、座布団などをダミーに置いています。

ただしこの方法、息子にばれると、「1人にされた!」&「だまされた!」で、号泣します・・・


家族の見分けは付いているようだ

息子は喃語がよく出てくるようになりました。

  保育授業ネタ1:喃語とは、生後2ヶ月前後から出てくる、「くー」「あぶー」などといった、意味のなさそうな声。
             機嫌のよいときに、多く出てくる。
             喃語でいろんな種類の声を出し、声帯を使いこなす訓練をしているのではないかと言われている。
             周囲の大人は、喃語であっても何か言葉を返してあげると良い。
             「通じた」という嬉しさで、コミュニケーションをとった甲斐を感じ、言葉を覚える意欲につながるらしい。

そして、家族によって、喃語のタイプが少し違っています。

夫には、大きな声で「うきゅー、ぎー、あーーーー!」と呼びかけ、
高く持ち上げてもらうとニコニコ笑います。

私には、割と小さな声で「くるるるる・・・」とのどを鳴らします。
猫みたい。
隣に添い寝すると、目を輝かせ、口をパクパクさせて手を動かし、
「早く、早く乳を・・・」とせがんでいます。

娘がそばに来ると、あまり声は出しませんが、手足をバタバタさせながら笑っています。
子どもは子ども同士、とわかっているみたい。

おばあちゃんには、ニコニコして「うきゅー、うきゅー」と話しかけるので、
メロメロにさせてます。


  保育授業ネタ2:生後8ヶ月前後から「人見知り」が多くの子に見られる。
             これは赤ちゃんが、母親とそれ以外の区別が付くようになり、
             母親以外の人を不審に思ったり、母親が見えないと不安になってしまうのが原因。
             順調に知恵が付いていることと、母親への信頼感(母がいれば安心という気持ち)が付いているから起きる行動で、
             泣かれる方は大変だが、ある意味でとてもめでたい。
             さらに成長して知恵が付くと、「今見えなくても、別なところにいる」と理解し、
             (この理解があるからこそ、「いないいないばあ」などの遊びも楽しめる)
             落ち着いていく。
             だから、この時期に保育園入園などをする場合、朝はこっそり離れるのではなく、
             言葉を話さない時期であっても、「またお迎えにくるからね」と、ちゃんと話してやった方が良いとされる。


初めての子育てである娘の時も、そんな↑知識があったものだから、
家族の区別が付くのは、早くても生後半年過ぎてからだろう・・・  と思っていました。
でも娘は、首が座るかどうかの時期から、家族によってちょっと態度が違ってたりしていました。

息子を見て、やっぱり赤ちゃんは、けっこう早くから家族の見分けは付いているんじゃないかなあ・・・
と思うのです。


 

子育て教室

私の住む町では、昔から「子育て教室」というものがあります。
生後半年までの赤ちゃんとお母さん(たまにお父さんも来る)が集まり、
最近の子どもの様子を話したり、(私は二人目なので、「そんな時どうでした?」と逆に聞かれてばかり)
何かテーマをもって保健士さんが話したり(今回のテーマは「非常災害への備え」)
します。
お母さん同士も知り合いになれるし、なかなか良いものです。

娘の時には3回行き、
今週、息子のために初めて行きました。

息子以外は皆、生後5ヶ月とのことですが・・・
大きさは、全く遜色ない。(まだ2ヶ月の中盤)
保健士さんも「さて、そろそろ始めましょうか・・  今日は2ヶ月の子が1人来るはずなんですが、まだ・・・・?」と。
ええ、うちの子が2ヶ月です。もう来てます。予約者全員揃ってます。

身長と体重を量ってもらったら、
身長は62センチ、体重は7.2キロになっていました。
本当に、5ヶ月の子と遜色なかったです。
かろうじて、母子手帳の成長曲線の範囲には入っていました。

このところ、本当に重くなったし、抱っこひもに入れにくいと思っていたら・・・

よそのお母さんで、「エルゴ」というメーカーの抱っこ紐を持ってきている人がいました。
私のは「ベビービョルン」で、新生児からたて抱きができ、太い肩ひもをクロスして掛けるので負担が軽い。
エルゴは同様に新生児からたて抱きができ、肩ひもはクロスではありませんが、
腰ひもも付いています。肩も腰も紐が太い。
ちょっと使わせてもらったら、
非常に負担が軽く、耐荷量も20キロ近いので、これは使いでがありそう。

ただ、たたんでコンパクトにはならない・・・
ので、買うのはやめておきました。
価格はベビービョルンと同じくらいです。  エルゴもレンタルがあればいいのになあ。

「泣かない」粉砂糖

先月、スノーボール を作ったところ、
最後に表面に粉砂糖をまぶしたら、すぐ溶けてしまう。
だからといって「二度付け」すると、食べるときに粉砂糖が散ってしまう・・・

ということに、ちょっと困りました。

インターネット上でレシピを調べると、よくバナー広告で入っているのが
お菓子材料の店クオカ - home

アクセスしてみたら、面白い材料がいっぱいありました。

そこに、「泣かない粉砂糖」というのがありました。
飴とか砂糖が自然に溶けることを「泣く」と言いますが、
それを抑えた製品。

さっそく買ってみました。
スノーボールは、一度にたくさんできるし、おいしいし、
子どもでもぱくっと食べやすい大きさなので、
年末年始のお持たせに・・・ 泣かない粉砂糖でまた作るつもり。

クオカにて、
左写真の「いちご粒ジャム」を買ってみました。
ホームベーカリーでパンを焼くとき、
生地こねモードの途中でこの粒ジャムを放り込みます。
(けっこうすごい音を立てて混ざっていくので、
機械が壊れないか心配になったけど)

すると、こんな感じに焼き上がりました。
(中央に細い穴が開いているのは、ホームベーカリーの「羽根」のあとです)

ジャムを塗らなくても、おいしいイチゴのジャムが点在。
こんなのも買ってみた。
クロワッサンシート(冷凍)

自分でクロワッサンの生地を作るのはすごく難しい。
だからといって、パイシートを丸めて「クロワッサンだ!」と言い切るのは、
チト苦しい。

これを冷蔵庫で解凍して(説明書には1時間とあったけど、私は一晩解凍した)
麺棒で少し伸ばします。
私は麺棒じゃなくて、すりこ木でやっちゃいますが。
くるくるっと丸めて、天板に並べます。
10枚分入ってますが、5枚分には細く切ったチーズを芯にして丸めました。
1時間ほどオーブンの発酵機能を使って発酵させると、
このように2倍くらいにふくらみます。
でもバターがちょっと溶けてしまった。
焼き上げてできあがり。

できたてのクロワッサンはおいしい〜〜
サクサクです。

ただし、サイズは小さいです。パソコンのマウスぐらいかなあ。
価格は、1個100円くらい。
近所のおいしいクロワッサンを売る店で買うか、
クオカでシートを取り寄せて作るか・・・?

考え中。
クオカでいろいろお取り寄せ

夫の転職

夫が転職しました。
もう何度も転職しているのですが・・・
今月は中旬まで、前の会社の有休を使っておやすみです。

最後の出勤日、立派な花束をもらってきました。
この会社には2年足らずしかいなかったんだけども、
私の誕生日には社長さんからカードが届いたり、
転職が決まったら送別会を開いてくださったり、
暖かい会社だったんじゃないかなあ・・・と妻は思うのですが、
夫としてはいろいろあったようです。
転職お疲れさま、ということで、
ケーキを作ってみました。

丸いスポンジを焼き、厚みを3等分しました。
ボールにラップを敷き、スポンジを1枚ぎゅっと入れます。
もう1枚のスポンジを細く切り、再度に立てます。
これでスポンジがドーム状に出来るので、
中にムース生地と刻んだイチゴを入れ、
最後の1枚のスポンジでフタをします。
冷蔵庫で冷やし固め、ひっくり返してラップを外すと、ドーム型のケーキに。

パンの耳を三角に切って、耳にしました。
クリーム(普通の生クリームにコンデンスミルクを混ぜて泡立ててみました)
を塗りつけ、
マーブルチョコとポッキーでデコレーション。

キティちゃんのつもりですが、なんか変。
娘に見せたらゲラゲラ笑い、
「これー おひげが ながくて キティちゃんの おじいちゃんみたい!」

キティちゃんの絵を描いて持ってきて、
「これを おてほんにして じょうずに つくってね!」
だそうです。

娘の描くキティちゃんは、なんか顔が細長い上に、
耳がないんですけども・・・
切り分けるとこんな感じに。
まずまずの出来になったと思うんですが、
娘はやっぱりケーキのスポンジが嫌いで、
クリームとムースだけ食べて、スポンジはまるまる残しました。

クリスマスはもう、私はケーキを作らず、
アイスクリームケーキを予約することにしました・・・

1シーズンに1枚は、きちんとした服を

赤ちゃんの時から、1シーズンに1枚は、きちんとした服を用意することにしている。
紺や黒、グレーや青系統の落ち着いたワンピースや、
ジャンパースカートとブラウス、カーディガンなど。
ちょっとしたお出かけに着回しつつも、
いざ、何かあったときには、フォーマルウェアとしても着られる服。

ちゃんとした「喪服」をあつらえるには、子どもはサイズが変わりすぎるし、
前もって不幸に備えるみたいで、なんか縁起が悪い気もするし。

私の父はもう20年近く「オレはもう長くない・・・」と言っているが、
幸い今のところ、「何か」が起きてはいないので、
お出かけ服として活躍している。
それでいいのだ。


今回つくったのは、左のようなセーラー服。
前あきで裏地なし、バイヤステープで白いラインを入れた。
素材は、綿の「ポンチ」

ポンチというのはニットやジャージの一種で、
今回初めて使った。
使ってみてビックリ。
縫いやすい。

サイズ120のセーラー服

暑がり

夫は暑がりで、冬でも室内ではTシャツ短パンだったりします。
娘も暑がりで、掛け布団を嫌がります。風邪を引くのは困るので「スリーパー」を着せていますが、
本当は嫌がっています。

どうやら息子も暑がりのようです。
掛け布団を掛けてやると、眠っていても「きゅう〜〜きゅう〜〜」とうなりはじめ、
外してやると黙ります。

それで、冬なのに、とりあえずは二つ折りのバスタオルを2枚掛けるだけ。
スリーパーを着せたら、これもきゅーきゅー言って眠らなくなってしまったので、
ベストを着せています。

娘は赤ちゃんの時、ベストを着た上に毛布と掛け布団を掛けていましたが、
黙っていました。
しかし、1時間おきに目覚めて泣いていました。

もしかしたら暑かったのかなあ。


6年制の教員養成ねえ・・・?

民主党は「教員養成を6年制に」と言っています。
実現させるのかなあ。

アメリカや北欧では、高校教師は大学院卒を採用しているとのこと。
日本の有識者などの意見もいろいろです。

    *教師を高学歴にして、社会的に尊敬されるようにしなくては
    *6年間もの学費をかけるのでは、学生の負担が大きくて志望者が減ってしまう

などなど・・・

高学歴なら必ずしも尊敬を集められるのかどうか? 
だって履歴書を貼り付けて歩くのではないし、
生徒に尊敬されたり信頼されるポイントは、もっと別の場所にあると思う。
私は中学時代の担任の先生を今でも尊敬しているが、
その先生は実は短大卒だったと、卒業してから知った。
(短大卒で中学に採用されるのだから、それはもう優秀だったわけだけど)

医師のような専門職は六年制。
教師も専門職なのだから、六年制にして、より専門性を高めた方がよい・・・
確かにそれは理解できるけれど、
医師のように、免許を取ったらほとんどの人が医師として就職できるとは、
教師の場合は限らない。  
免許だけ持って、教師としては働いてない人の方が、むしろ多いんじゃないかと思う。
それに、高額な学費をかけても、教師は医師のように高収入にはなれない。
(医師も実は、若手の勤務医では高収入ではないそうだが・・・)


私は、通っていた大学では珍しく、教育系の卒論を書いていた。
それで、教育系の大学院進学を考えていた。
でも教育実習に行ってみて、
「どんなにデータを集めても、文献を読んでも、取材しても、
答えは、現場にしかない」と思った。

それは今でも、そう思っている。
22〜3歳の女の子が、教育実習に行っただけで、研究室でああだこうだ論じても、
机上の空論に過ぎないだろうと思った。
そんなことはしたくないと思った。
それで、進学はやめたのだ。

教員採用試験(当時はものすごく倍率が高かった)は落ちたけれど、
講師でも産代でも、とにかく現場に出たいと思い、
研究室に残るのもやめた。
あの頃書いた卒論には、「教師の力量が問われる」みたいな文章でまとめてしまった項目がある。
まさに机上の空論で、現場を知らない者のまとめかただ。
教師になってから、ニュースのレポーターや教育記事の「教師の力量」という言葉に、
どれほど歯がゆく腹立たしい思いをしたか・・・  あの卒論を破り捨てたい。
確かに「教師の力量」で解決できる場面は多いが、
学校は教師集団と生徒集団で動いているので、そんなに簡単でもないのだ。

しかし10年ほど働いてみると、もう一度勉強し直したいと思うことは多い。
私は被服が専門で、それは「なんでも来い!」と自信持って言えるけれど、
食物や介護などは、自分でどんなに勉強しても、そこまでの自信は持てない。

育児休業で、いったん現場を離れてみる良さも知った。
10年経験者研修で、通常の学校勤務と研修を両立させることの無茶も知った。

経験10〜20年程度の人(時期は自分で選べると良い)が、
学校を離れて、
2年間大学院で研究したり、専門外のコースに学士入学して2年間学べる・・・
管理職になることを考えている人には、経営関係の勉強等を2年間やる・・・
すでに大学院を出ている人は、ドクターコースとか、別分野の勉強・・・
ってふうにした方が、ずっといいと思う。

10〜20年も働けば、誰でも課題が見えているはずで、
でも学校では主力選手になっているから、毎日の仕事に忙殺され、ゆっくり洗い直す時間もない。
この時期に学校を離れ、
大学院などに通った方が、長期的に見て、生徒に還元できると思う。

ところで私の祖父母は大正時代にデビューした小学校教師だったのだが、
当時、師範学校の学費はタダ同然だった・・・ と生前、聞いたような覚えがある。

祖父は農家の三男坊で、中学は出してもらえたものの、家や財産を継ぐことは望めない。
それで師範学校へ。
祖母は小作人の娘で、女学校への進学すら望めない。
かわいそうに思った地主の奥様が奨学金を出してくれて、女学校に進学でき、
卒業後、代用教員として小学校に就職。

昔はそのように、「お金はないけど勉強はできる、勉強したい」という人の進路として
教員はスタンダードだったのだろうか。卒業後は現金収入も得られる。
もちろん収入だけで続けられるほど甘い仕事ではないけど、それはどんな仕事もそうだろうし。

教師の質を上げるのならば、いっそ教職課程の学費をうんと安くするとか・・・?