2015年1月〜2月

yousight

3級合格!

娘がそろばん教室に通い始めて、もうすぐ2年になります。
珠算の3級に合格しました。

このそろばん教室では、校内の検定試験に受かると
記念に鉛筆をくれます。
級ごとに違う色のもの。
ずいぶんたまった・・・・

今年の医療費控除の計算(医療レシートの集計)は、
娘にやってもらいました。
うん、役立っている。

3級レベルまでできれば、日常生活には困らないのだから、
私としては、もう教室に通うのはいいかな、と思っていたのです。

しかし娘は、「小学二年生で段位を持ってる子がいる。私も段位まで行きたい」というのです・・・
まだまだ続けることになりました。

今は準2級の教材をやっていますが、6桁の計算やマイナス計算がバンバン出ています。
マイナス の概念を理解できるのかな?
1級レベルだと平方根があると聞いたことがあります。
小学生の発達段階と合わないのではないか・・・とちょっと心配。
娘が目標を持って頑張っているのは、すごくいいことなのですが。


祖母からの手紙

私が高校を卒業するころに、祖母(父の母)から届いた手紙が出てきました。
確か、お年玉をもらって、そのお礼やもうすぐ大学受験だとか、私が書いた手紙への返事だったと思います。

私が小学校を終えて女学校へ行きたかったが、家が貧しくて入れなかった。
その時、私の母が乳母をして育てた地主の奥さんが哀れに思い、
ご主人に頼んで女学校へ入学させてくれたのです。

その頃の学費は一か月三円八十銭でした。
そして私が女学校を出て小学校の先生になって貰った月給が二十五円でした。
そして定年退職した時の退職金は二百円でした。

・・・そんな時代を生きた私には、一年にたった一度のお年玉の一万円は、大金なのです。
でも孫等が何かの足しにして、喜んでくれることが嬉しい昔のお婆さんなのです。


私の寿命もあと二、三年です。人は年取って生きていれば人の世話になります。
自分で自分を守れるのは、私の場合は余り長くありません。
寒さに向かって、あまり無理はできません。
すぐ疲れるから何もせず ただ本を読んだり自分一人で短歌を楽しんでおります。


物価は1万倍の感覚でしょうか?
90年代の私立高校の学費は、1か月4万円前後で、
私が高校教師になっての給料は、税込みで22万円程度だったと思います。

祖母が女学校に通っていたのは大正時代。
当時、女子が進学するには、
本人の学力ややる気だけではなく、家庭の経済力や、親が教育に価値ありと思っているかどうか
に左右されたのだということが、祖母の手紙からよくわかります。
男子の進学も同様に大変だった時代ですから…

90年代だと、明らかに私より優秀な女性でも、
短大進学しか親に許されなかったと言っている人がたくさんいました。
私も、20歳の時に父が定年退職するのがわかっていたので、
四年制大学に進学するのが良いのかどうか、迷いました。
奨学金という名の借金を200万円ほど背負って進学しました。

ちょうどバブルのはじけるタイミングで、新卒ではばっちり非正規雇用。
短大の方が2年早かった分、少し就職は良かったようでした。
長い目で見ると、四年制大学に進学したおかげで、一応今も食えている。
しかし忙しさとキリキリ感は何が原因なのかと思ったりもするのです。


進路における「長い目」というのは、軽く20年はあるのだと今は分かるのですが、
高校生の時点では5年先を見られるかどうかも怪しかったです。
実際、今の高校生を見ても、5年先を見るのが精いっぱいです。
個人的な見通しは長めに持てるかもしれませんが、
家族や社会の状況を考えると、「ライフプラン」というのは本当に難しい。

自分の子どもたちの進路とか、その費用とか、
この手紙を書いてくれた頃の祖母と、今の父がほぼ同じ年齢だなあとか

いろいろ考えてしまうこの週末でした。



「昔を調べる」

娘の宿題で、「昔のことを調べる」ということで、
私の実家で祖父母にインタビューしてきました。
   いろいろなジャンルの質問があり、クラス内で分担して、特定のジャンルについて聞いてくることになっていました。
   娘の担当は「服の流行」「どんなお祭りがあったか」「どんな施設があったか」

父と母ではちょっと時代や生活地域が違うのです。
同じ新潟県新発田市ではあるのですが…

父は昭和7年生まれ。小学校低学年のころまでは、わりに物がありました。
ただし周囲は田や畑ばかりで、学校や病院などは遠くにありました。
自動車や自転車は普及しておらず、あっても冬は雪で、移動は徒歩しかありません。
中学1年生の時に終戦。成長期は食糧難と重なっています。
新潟なので都市部よりはだいぶましだったようですが、
周囲が田んぼばかりなのに、米を食べることはほとんどできず(どこかに流れてた?)
芋ばかりだったとのこと。その芋も、「農林ナントカ号」という、大きいばかりでおいしくない品種だったそうな。

当時、中学校に進学したかったら受験しなくてはならず、
父の学年は「中学4年」に進級するタイミングで法律が変わり、
「新制高校1年」と呼ばれました。
中学入学時は「5年で卒業」の予定だったのですが、結局高校3年まで、6年在籍して卒業。


母は昭和15年生まれ。物心ついたころには、戦争の真っただ中でした。
新発田駅前の商店街で着物店を営んでおり、戦前は多くの住み込み従業員がいましたが、
戦争に入ってからは皆出征したり、地元に戻ったりと、人は減っていたそうです。
5歳で終戦。小学校高学年のころから、モノが増えてきたと実感するようになったそうです。


両親の両親はみな仕事がありました。
父の両親は小学校の教員で、母の両親は着物店。
年齢がやや高いために、出征はしないですんだそうです。

質問@ 「服の流行」
父・・・そんなものはない。(戦中戦後だから)   
    着物を仕立て直して学生服の形にしたり。とにかく、そこにあるものを着るしかなかった。
母・・・小学校4年生頃から少し世の中が落ち着いてきて(朝鮮戦争特需のころ?)
    ディズニーの映画(白雪姫やバンビなど)が見られるようになった。
    その少しあとで、オードリーヘップバーンの映画が入ってきて、
    ふんわりしたスカートやヘップサンダルがすごく流行った。


質問A「施設について。  幼稚園や保育園、病院、図書館、買い物など」

<幼稚園・保育園>

父・・・共働き家庭だったが、幼稚園も保育園も行かなかった。
    市内にあったようだが、3キロも離れていて、(今のように車送迎などありえなかったし)
    幼児が歩けるところではなかった。
    住み込みの「子守さん」がいて、彼女に面倒を見てもらっていた。
     (今でいう住み込みベビーシッターだけど、家族同然で、子どものことは容赦なく叱る。
      年齢は十代で、当時の農村のこと、口減らしの意味もあったようだ。父の実家から嫁に出た)
    両親は学校に勤めていたが、家は祖父母が雑貨店を営んでいて、
    家事や育児の人手はとりあえずあった。
    自分も4人兄弟の一番上だったので、家事や弟の子守はした。 
母・・・自宅が仕事場でもあり、住み込みの女中さんは戦争中もいたので、
    やはり人手は足りていた。
    近くの幼稚園に1年だけ通った。


<病院>

両親とも・・・お医者さんが家に来てくれた。   入院できる大きな病院もあったが遠い。


<図書館>

両親とも・・・なかった。


<買い物>

両親とも・・・何でも、棒手振りの人(かわいい魚屋さん のアレですね)が来てくれて、
        そこから買った。  米や味噌は1年分まとめて買った。
        父の実家は周辺で唯一の商店(雑貨屋)だったので、
        頼まれて日用品をいろいろと扱った。
        野菜などは周辺の農家から分けてもらったりしていて、
        魚は釣ってきたし、あまり買うことはなかった。    


などなど。特に父は「俺はもう長くない」と言い続けて25年以上たち、
実際にだいぶ弱ってきましたが、孫にいろいろ伝えられるのが楽しそうでありました。
今の小学生で、祖父母に戦争体験がある人も少なくなってきてるんだろうな・・・


藤子F不二雄ミュージアム

2月15日に行ってきました。
実は一昨年、娘と二人で行ったことがあるんですが、今回は初めて家族4人にて。


以前はかなり、予約が取りづらかったのですが、
今回は簡単に朝10時の回が取れました。
前日でもまだ大丈夫みたいだった。(各回500人まで発券)

中国がホリデーシーズンなのか、中国語があちこちから聞こえてました。
外国のガイドブックにも出てるのかな?

午後から風が強くなりましたが、
午前中はわりに暖かくてよかったです。


冬の藤子F不二雄ミュージアム

駅拡張中

毎日毎日、
積み木とスケッチブックを組み合わせて 「駅」 を作っています。
もちろん邪魔なので、家族が室内を歩くたびに蹴散らされてます。
でもすぐに修復。

この駅は、積み木を立てた上に無理やり電車を置き、
空中に線路がある状態を作ってます。
手前の丸い積み木を重ねた部分は
「エレベーター」だそうです。

5分後にバラバラになりました。
修復…  させませんでした。
もうご飯ですから、片づけろ!!

直ったミシンは快調です

ミシンが帰ってきました。
踏んでみたら…
おお、お前こんなに軽かったのか!!!!
驚きました。
一番ミシンを酷使していた、大学生〜20代のころ、すでにミシンはベストな状態じゃなかったのだと思います。

これからは学校備品なみに、1〜2年おきに業者さんに出した方がいいのかな?

と、今回お願いした「tetettaミシン工房」さん(甲府のお店)に
聞いたところ、
普通の家庭で使う分には、調子が悪くなったときに預けてくれれば十分  とのことでした。
そして、下糸の釜部分は勝手に外さないようにと・・・・

ハイ、いじらないことにします。


最近は、修理を頼んでも「これは新しいのを買った方が安い」などと言われることが多いので、
今回のお店はすごく良心的、かつ職人的気概を持って直してくれました。
あと10年以上は使えるはず、
このミシンと同等機能で新品を買うのなら、7〜8万円クラスのミシンが良い・・・とのことです。

近頃よく見かけるミシンは3万円前後なんですが、
筐体が軽いのと、水平釜で回転が遅いので、買うのをためらってました。
かといって「シュプール」「ヌーベル」のような、
本格的な職業用ミシン(まさに8万円前後)は直線縫いしかできません。
水平釜ミシンと比べて、縫い目は明らかにきれいですが。

なんだかんだと、直線縫いとジグザグ縫いができて、
垂直釜で回転が速いこのミシン。最近、こういうミシンは売ってません。
このミシンを大事にしたいと思います。


ミシンを修理しています

30年も愛用していたミシンが、
壊れてしまいました。

現在、修理業者さんのところにいます。

ミシンの修理







・・・と、これを書いた2時間後(ミシン発送から27時間後)
修理業者さんから電話をいただきました。
もう、修理が終わったそうです。

いろいろと問題があり、どうして今までちゃんと動いていたんだ!?
とミシン屋さんもびっくりだったそうです。

(1)下糸を巻く装置が動かなくて、下糸巻きの軸がゆがんでいた
   (実は、私が大学生の時にはすでに下糸巻きが動かなくなっていて、
    スーツもドレスもすべて! 手で下糸を巻いていたのでした!!)

(2)ランプがつかなくなっていて、コードがぶらぶら状態
   (ランプは30年間、全くいじっても電球交換もしてませんでした。
    仕事で使ってるミシンは数年ごとにランプが切れるので、
    うちのミシンはなんでこんなに電球が持つんだろうと思ってた)

(3)上糸をかける部品が1本、折れてなくなっている
   (これは、大学を卒業して親元を離れた時、引っ越しで破損したと思われます。
    本当はプチプチでぎっしりミイラ状態にすることを知らず、
    ただミシンを段ボールに入れて運搬したため、当然ですね…)

   部品がない状態では、糸調子が整わなかったのでは?
   とミシン屋さんに聞かれましたが、
   糸調子は自分で調整して、どうにかそろえていたので、まあ縫えていたんですよ・・・・   (驚かれてしまった)

問題の釜ギアは交換してくれて、(1)〜(3)も治りました。
しかし、今回、最大の驚き!!
「このミシンに適合する針は、家庭用タイプです」

えーーーーー
ずーっと職業用を使ってました!!
だってボビンは職業用だし、職業用ミシンとして買ってもらったものだし!
でも押さえ金は家庭用タイプが使えてた…

ミシンの取扱説明書なんて、小学校卒業前になくしてました。

家庭用ミシンに職業用ミシンの針を入れようとすると、
明らかにうまく入らないので、すぐにわかるんですが・・・
私のミシンもそうなるはずだったのに、
特に問題なく(問題だらけだろう?)30年使えてた。

倒産したリッカーのだから、直せるお店はないだろう、一応縫えてるし…
と思い込んで、
(1)や(3)の不具合は何年もあったのに
ずーっとちゃんとしたメンテナンスをしてなかったのがいけない。
いや、家庭科教師として恥ずかしすぎる結果でした。

修理費用は送料込み2万円弱。オーケーです。





駅  を作るって


プラレールの基本レールセットは持っていますが、
きりがないので買い足さないことにしています。


しかし・・・
積み木とスケッチブックを組み合わせて、立体駅を作ってます。
片づけても5分後には復旧。

ほんとに、基本セット以外のレールを買わなくてよかったと思いました。






マシュマロサンド

娘が私の身長を抜かしそうになっています。

で、高いところ(私がよいしょっと手を伸ばして使う)に置いてある、
電子レンジの使い方を教えました。


東鳩ハーベストにマシュマロを乗せ、
電子レンジで20秒くらいチン。
マシュマロが膨らんだところで取り出し、
もう1枚のハーベストを乗せます。

これに娘ははまって、毎日作ってます…



ずっと更新してないじゃないか

大変お久しぶりです。
あけましておめでとうございます。

なんでずっと更新してなかったかというと…・

1 忙しかった・・・
   フルタイムで仕事して、お迎えに行って帰宅すると18:30
   夕食作って食べさせたり、お風呂に入れたり、子供の勉強を見ていると、あっという間に10時になってしまいます。
   休日もいろいろと用事が入ったりして・・・
   休日出勤も月に1〜2回はありました。

2 パソコンの調子が悪いというかなんというか
   パソコンを買い替えて、データを移すところまではできたんですが、
   ホームページビルダーで写真をアップしようとすると、必ずフリーズし、せっかく書いたものが消えてしまう・・・
   ことが多くなりました。
   どうやら、マイドキュメントに保存している写真をそのまま使うとだめらしい。
   ホームページ用のドキュメントフォルダを作り、
   写真をいったんそのフォルダにコピーしてタイトルを変えると、
   スムーズに更新できるようになりました。
   でもめんどくさいのよ。
   ついつい更新が途絶えました。すみません。

3 フェイスブックのほうが簡単
   フェイスブックのほうがいろいろ簡単なんですよね。
   なるほど流行るわけだ。
   私の本名を知っている方は、フェイスブックだとわりに頻繁に書いています。

4 子どもがパソコンを使えるようになってしまった。
   新しいパソコンがタッチパネルであること、娘がローマ字を習ってしまったことなどもあり、
   日中にパソコンを開いていると、使いたがってうるさい。
   しかし、夜なべする元気はない。


すみません。

こんなことしてました(1)   夏休みは九州に旅行

夏休みは九州に行ってました。
九州に旅行

こんなことしてました(2)   夏休みに始発でキッザニア

キッザニアにも行きました。そういえばディズニーにはずっと行ってないですね
始発でキッザニア東京

こんなことしてました(3)   冬休みは東北のハワイへ

福島のハワイ、日本語&日本円でOK、立川からバスで直通、日焼けしない!!
最高です。
スパリゾートハワイアンズ宿泊!

こんなことしてました(4)   クリスマスケーキやおせちも作ってます

2014〜15 クリスマスと正月

こんなことしてました(5)   久しぶりにスーツを縫いました

久しぶりのスーツ

宝塚にはまる娘

2014年11月に、BSで宝塚の「ベルサイユのばら・フェルゼン編」をやっており、
たまにはいいかと録画して観ました。
私は宝塚には特に詳しくありません。
ただ、学生時代の友人でかなりはまっている人がいて、彼女の家に遊びに行くと、よく宝塚のビデオを見せてもらいました。
もちろん面白い。
大学の卒論でも、同期の誰かしらは宝塚の衣装を研究しています。
ジェンヌさんの名前などはまるで分らないながらも、宝塚を解説した本は数冊持っていて、
基礎的な知識はあります(?)。

フェルゼン編はとても面白く、トップの壮一帆さんは素晴らしい。圧倒的。
娘はドはまりして、留守番をさせると、
いつもそのビデオを見て、ラインダンスの真似をして踊っていました。
しかし壮さんはすでに引退。
タカラヅカって人の移動が激しいんですね、というか下積み期間が長すぎる!?

鉄にはまる息子

息子は夫に連れられて、青春18きっぷなどで関東ローカル線にしょっちゅう行きます。
鹿島臨海鉄道とか、いったいどこ?  
大きなお風呂に行くと言って出て、石和温泉に行ってきた?
大きめの神社に行くといって出て、神奈川の寒川神社で初もうで???

もうどこに行くといっても驚かなくなりました。風邪だけは引かせないでください。

息子は路線図や地図を見ているうちに、
漢字も読めるようになってしまいました。
テツオタ一直線。

更年期じゃないようですが

11月ごろに月経が3週間遅れました。
そして基礎体温が低めでぐちゃぐちゃに。
30代のころは、基礎体温がきれいに二層に分かれていたのになあ。
若いときは月経量が多くて生理痛も重かったのですが、
出産したらグッと軽くなりました。

さて、今回のは・・・・
卵巣嚢腫が再発したのか。(20代後半で卵巣嚢腫をやった時とそっくり)
それとも、40代に入ったし、はや更年期か。

すぐ、かかりつけ病院に行きました。
卵巣嚢腫はすぐに否定されました。
更年期や閉経も、10年早いとバッサリ。
一応血中ホルモン量も検査しましたが、正常。
貧血や血糖なども正常。

受診から3日後に月経が来て、
単にストレスか何かで遅れてたのかなあ   と思っていたのですが、
それ以来2か月、続いているのです。
こんなことは今までなかった〜〜

高校生の時、1か月続いて受診したことがありますが(若い人にありがちな機能性出血)
明らかにそれとは違う。
年末年始休暇が明けるのを待って、再受診。
とにかく出血量が多すぎる。
こんなに多いのは、産後すぐと同じくらいだ。
子宮筋腫とか内膜症かと思ったけど、全く生理痛はない。

検査したところ、筋腫や内膜症はない。
子宮の奥に血の塊があるので、それを吸い取り、数日後には収まるだろうといわれた。
もし、全く収まる気配がないなら 子宮体がんの検査をするとのこと。

子宮頸がんの検査は毎年受けていて、異常なし。
子宮体がんって受けたことはなかったなあ。
全摘出すれば助かるのかなあ。

貧血がすごく進んでいることがわかりました。
妊娠末期にドクターストップ寸前なくらいに貧血が進んだことがあるけど
今回はそれよりひどい数値が出てました。
でも、普通に授業できてますが…   おなかが大きくないから動けてたのね。

ピルを飲んで出血を押さえ、鉄剤をガンガン飲むことになりました。
ピルを飲んだら、ほぼピタッと出血が収まった。
すごいわ。

止まったってことは、子宮体がんの可能性は否定されるのかな。
月末に再診。

がんって相当進むまで痛くないというからなあ・・・・
若いころに担当した生徒が、最近続けて亡くなったのです。子宮頸がんで。
正社員になればほぼ強制的に検査は受けられるけど
フリーターとか専業主婦になると、検査の機会は減ると思うのです。
しかも、二人とも20代でしたから、まさかそんなだなんて考えないですよね。
もし、今の私が子宮体がんだとしても、
自覚症状って生理不順だけだから。この状態で何年も放置する人もいるんじゃないかな・・・
本当に、健康に気を付けてねって  どうしたらいいのかわからなくなる。
まずは生徒たちには、授業の中で「かかりつけ婦人科医を持て」「基礎体温は便利だ」と言っておりますが。